Moscow

 07:45に起床。帰国日なので、もう一度荷造りを確認したうえで、まずはホテルのNorth sideにある手荷物預かりへ行き、トランクとバックパックを計48P也で預ける。次いでWest sideへ戻りチェックアウト。本日のクレムリン見学用に、$30を約900Pに両替。
 クレムリンは09:30から開くので、KACCAで並んで待つ。珍しく09:30にきっちりと開き、クレムリンと武器庫の入場券を計600Pで購入。武器庫への入場は10:00と決められており、さらにクレムリンの周囲を巡ってボロヴィツカヤ塔の下の入口に並ぶ。武器庫への入場のシステムもかなり変わったものだ。後ろにはこれまた日本からの団体さん。一箇所にこれだけ日本人が集まると目立つなぁ。
 10:00に入口が開き、そのまま武器庫へ。撮影料として50Pを支払う。ご存知の通り、武器庫とはいっても、中にはロシアの国宝が収められている博物館だ。象牙で出来たイワン雷帝の

玉座
赤い玉座
・ビザンツ皇帝から授かったという、戴冠式において使われた
モノマフ帽
・エカテリーナII世の
からくり時計
銀食器
などなど、ロシア最高の財宝が所狭しと展示されており、どちらを見ればよいのか分からないほどである。繊細かつ豪勢な美だ。しかしなんといっても、私にとってはファベリジェのイースターエッグである。撮影してみるが、やはり暗いためかピントが合わない。暗視撮影に強いカメラが欲しいところ。後ろのおっさんから『もう十分だろう(だからさっさとどけ)』といわれたくらいだが、私にとってはファベリジェは『これで十分』などということはないのである。
 武器庫にいられるのは11:30までで、ファベリジェにはりついてしまったので、ダイヤモンド庫に行く時間がなくなってしまった。まぁ仕方のないところではある。名残惜しくはあるが、ファベリジェ、そして武器庫を後にした。
 クレムリン領域内に入るところで改札があり、再びサボールナヤ広場へ。何度も書くが、溜め息が出るほどに美しい場所だ。またいずれ来たくなってしまう。カメラを出さず、浸る。
 クレムリンを後にし、マネージ広場地下のショッピングセンターへ。洒落たブランドの並ぶ高級ショッピングセンターだ。ここの最下層にフードコートがあるのを覚えていたので、シチュー(?)・ペリメニ・挽肉のクレープ巻のセットに紅茶で計190P也。こうしてみると、『ゴドゥノフ』がそれほど高くないことが分かる。ところで、ロシア人の平均月収は約$100とか聞いたような気がするのだが、この物価で暮らしていけるのだろうか?
 周囲の
木々
は秋めいている。風が吹くたびに、たくさんの落ち葉がざっと舞っていく。感傷的な光景だ。一日ごとに寒くなっていくように思う。
 残り少なくなった時間を、赤の広場をぶらぶらして過ごす。今日も閉鎖され、残念ながら歩くことは出来ない。遠くにレーニン廟が見える。その後ろには歴代のソヴィエト共産党書記長の墓、さらに、クレムリンの壁沿いにしつらえられている革命の功労者達の墓。ここはまさしく、時代の墓標であり、しかも現代を形成する中心点なのである。歴史は連続しているのだ。この広場の石を、そうした歴史に想いを馳せつつ踏みしめてこそ、赤の広場に来る甲斐があるというものだ。
 世界各国から来た観光客が思い思いに記念写真を撮っていく。
レーニンそっくりのおっさん
もいたりする。大丈夫なのか…?と心配になったが、ミリツィアも笑っていた。すっかり平和な光景だ。これがいつまでも続くことを願う。(ただし、赤の広場を歩けるようにして頂きたいが。)


 16:00にドライバーと待ち合わせ、シェレメチェボII空港へ。約40分ほどで空港に到着し、まずは中央にある大きな掲示板を見て、19:10発SU581便のカウンター番号を探す。(シェレメチェボでは、左右にカウンターが分かれて配置されているので、まず左右どちらのカウンターになるのかを知らねばならない。)左方の1番カウンターということでそちらへ。まずは税関を通ろうとするが、『東京行きはまだだ』ということで税関の外で待つ。同じように待っているご夫婦に話を聞くと、なんと昨日オーバーブッキングのためシェレメチェボで一泊させられたのだそうな。それで、今日は一番にチェックインすべく待っているのだという。背筋が寒くなってきたのでその後ろにつく。今日も団体が多そうだし。(ちなみに、クレムリンは個人では入れないという噂もあるそうな。私がほいほい入っていたと聞いて驚いていた。かように、ロシアではいろいろな情報が飛び交い、真実を見極めるのが難しい。)
 しばらくしてもう一回税関にトライしてみると今度は通過。せっかく用意しておいた申告書も何も見ない。そのまま1番カウンターの前で待つ。17:30にようやく開始。無事にBoarding Passも発行されて一安心。さっさとPassport Controlを通過し出国。あとはDuty Freeをうろつくのみ。何を買うわけでもないが、旅行の終わりという感傷を味わう。モスクワのDuty Freeは15周年らしい。5年前と比べても店が増えたように思う。それにしても、皆さん酒やら煙草やらを大量に買い求めているなぁ。機内の頭上棚から落ちてこないようにして頂きたいものだ。行きのtransitで会ったおっさんにもまた会った。transitのため、07:00からずーっとここでうろついているのだそうな。私と同様、キエフの排気ガスで喉をやられたとのことで、声が変わっていた。18:50にBoarding. 帰国便のシートに座ると何となくほっとする。


 今回の旅行も何とか無事に終えることが出来た。キエフもリヴィウも、いわゆる観光地としては見所が少ない部類に入るだろう。しかし、スラブの心の故郷といわれるキエフ、そして観光地となっていない中欧の古都リヴィウを訪れることが出来て満足である。ウクライナは、これまでのロシア化の反動で『ウクライナ的なもの』を模索していることがよく分かる。しかし、その過程で欧米的なものが入り込み、進むべき方向を模索しているかのようだ。国内にある3つのものを上手くミックスし、よりよいものとして頂きたいと思う。
 クレムリンは変わらず美しかったが、モスクワの変化の速さは予想以上だった。街全体の雰囲気も明るくなり、活気が出ている。今後が楽しみである。
 それにしても、なぜ私は旧ソ連圏に惹かれるのであろう? 理不尽なことも多いし、物価は高いし、美味しいものがあるわけでもなし、いわゆる観光名所が多いわけでもなし… でも、しばらくすると、また行きたくなるのだろうな。これで旧ソ連の15の共和国のうち5つに行ったわけで、いっそ全制覇を目指すというのもある。


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