04:00になんとなく起床。ついに帰国日である。身支度を整える。もうバックパックに一泊分の荷物を入れておく必要もない。05:45にチェックアウト。フロントは真っ暗で、にーちゃんがロビーで居眠りしていた。まだ夜も明けていない。
06:00に、迎えのドライバーがやってきた。往路と同じ人だ。空港までの道を話しながら行く。私が気に入ったブカレストの旧市街は、EUからの融資を受けて修復を進めているものの、ジプシー(ロマ)が長年不法に居住していたため、なかなか進まなかったのだそうな。しかし、最近、政府が何らかの対策を採ったようで、今後急速に進むらしい。
北京オリンピックの開会式を観ていたらしい。『"Communist Ceremony"を久々に観たよ。昔はああいうのに参加させられていたものだ。』 いわく、チャウシェスクの支配下でも、当初は住み良い国だったとか。ところが、北朝鮮を訪問したエレナ夫人が現地のマスゲームや都市に感銘を受けてしまい、それをルーマニアでも実現しようとした頃からおかしくなってしまったのだそうな。
ルーマニアはまさに変化の真っ只中にあるという印象を話したところ、大きく肯いて、『EU加盟以来、急速に変化している。あと数年で、お金のことばかり考えている普通の国になるかもしれない。でも、マラムレシュや北部は、今もその日その日を静かに楽しく暮らしているけれどね。』と話してくれた。やはり、マラムレシュにも訪れておくべきだったかもしれぬ。いつか、行こう。
06:30に空港に到着。ちょうど夜明けだ。出発ロビーは、もともとチャウシェスク専用として造られたものだそうな。『でも、1989年には未完成だったから、彼は使えなかったけれどね。(笑)』 到着ロビーよりも近代的なつくりだ。ただし、物価がめちゃくちゃに高い。水0.5Lで8LEI, オレンジジュース0.3Lで9.50LEIとは足元を見すぎである。
まずは、08:35発のOS7012でウィーンへ向かう。06:45にチェックイン開始し、東京までのチェックインを完了。免税店も少しあるが、品揃えはごく普通。ルーマニア産ワインを揃えていたが、市中で買えば半値以下ではないだろうか。08:00にボーディング開始、08:35に離陸。さらばルーマニア、また来る日まで。
09:20(時計が1時間戻る)にウィーン到着。さて、14:05に予定されるOS51の出発まで、ここで約5時間のトランジット待ちである。いったん入国して空港をうろつく。到着側に来ると、旅の始まりのような気分に戻ってしまう。えーと、ここから空港前のホテルに泊まって、明朝のフライトでブカレストへ… 出発ロビーに行くと、さらに旅が続くような心持ちに。ザクレブ、オデッサ、リュブリャナ、ソフィア、… 事情が許すならば、まだまだ旅を続けても、こちらは一向に構わないのだけどなぁ。
さすがに、ウィーンの空港には日本人がたくさんいる。もちろん、それ以外の国の人々もたくさん。OS51の出発ゲートの隣は、なんとジェッダ行きサウジアラビア航空の出発ゲートだ。そちらに乗るのも楽しそうだなぁ… 後ろ髪を引かれる思いでOS51に乗る。
なんとなく、まだまだ社会主義的な雰囲気を残しているであろうという先入観を持って訪れたルーマニアだったが、まさに変化の真っ只中にあり、その実情に驚いた。特にブカレストは、EUの他の国々に急速に追いつこうとしているようだ。次に訪れた際には、また大きく変化していることであろう。ルーマニアを訪れるならば、ある意味で旬の時期だったかもしれない。
今回の旅のメインの目的だったシギショアラは、本当に静かで美しい、落ち着ける街だった。世界遺産ということもあり、今後も観光客が増え続けることであろうが、朝の静けさをいつまでも喪わずにあって欲しい。ブラショフ、シナイアは、既に観光地化されていて、便利ではあるものの、普通の観光に終わってしまったような気もする。今回のプランニングへの後悔はなく、十分に楽しい旅だったが、やはりマラムレシュにも訪れてみたかった。
今回で、一人旅を始めてからちょうど10年。それぞれが思い出深い。まだまだ旅は続く。