Epilogue

 雷は夜半過ぎまで鳴っていた。朝になっても強い雨が降っている。このホテルの朝食は北京のホテルの朝食よりもひどい。中国で朝食が不味いという事象が存在し得るとは…
 ロビーで呉さんと合流。チェックアウトの手続きにもやたらと時間がかかる。ロケーションも好くないし、いいところといえばインターネット接続が無料ということくらいだ。雨の中を空港へ向かう。『30分くらい遅れるかもしれませんね。』という呉さんの一言が、その後のトラブルを予言していたのかもしれない。


 10時過ぎに空港に到着。チェックイン手続きに30分以上かかり、妙に疲れてしまった。しかも、上海で搭乗予定のCA157への搭乗手続きは出来ず、いったん手荷物を受け取り、再度チェックイン手続きをしなければならないとのこと。
 呉さんと別れ、菓子等も特に買わずにそのまま搭乗カウンターのほうへ向かう。11:20には搭乗手続きが始まるはずなのだが、なかなか始まらない。待っている間に、NHKの撮影スタッフの方といろいろ話した。やはりNHK-BSの番組制作には素晴らしいものがある。


 本来は離陸予定時刻である11:50にようやく搭乗開始。ところが、いつまで待っても機体が動かない。どうやらこの大雨で空港が混乱しているらしい。機内には何のアナウンスもなく、CAも何の情報も持っていない。苛立ちばかりが募る。とうとう機内食が配られてしまった。つまり、少なくともあと30分は動くことはない、ということだ。このままでは、上海での乗り継ぎに間に合わなくなる恐れがある。苛立ちに不安が混ざり始めた。
 14時にようやく離陸。既に2時間遅れており、本来ならあと20分ほどで上海に着く筈だった。しかも、アナウンスされた上海の到着予定は16:30, 預託手荷物の受け取りとチェックイン手続きを考慮すると、離陸予定の17:05にはとても間に合わない公算大といわざるを得ない。予定よりも早く着いてくれることと、上海の空港でスタッフが助けてくれることだけが望みだ。ラサの仏に祈るが、飛行機はあくまでゆったりと飛んでいる。


 上海・浦東空港に到着し、人混みを掻き分けて空港の建物に入ると既に16:40, ブリッジにも助けてくれそうなスタッフは誰もいなかった。非常にまずい状況である。広い空港の中を乗り継ぎカウンター目指してひたすら走る。こうなったら、カウンターにeチケットを見せて搭乗するという意思を見せ、待たせるしかない。
 10分ほど走ってようやく乗り継ぎカウンターに辿り着いた。出発予定時刻まであと15分しかない。息が切れるが、とにかく搭乗意思を必死に訴えると、返ってきた答えは、…『CA157は出発が遅れていて、17:50出発予定』とのこと! まだ希望はつながった。しかし、乗り継ぎカウンターでの搭乗手続きは出来ず、当初の予定通りに、預託手荷物を受け取って、再度チェックイン手続きをせねばならないとのこと。何とも幸運なことに、預託手荷物が早く出てきてくれた。エスカレーターで上のフロアにある出発ロビーに昇り、搭乗カウンターに並ぶ。


 そして、…どうにか搭乗手続きを終え、ボーディングパスを手にすることが出来た! 『17:20に搭乗開始だから急いで行け』といわれるが、これさえあれば何とか搭乗できる。そのまま出国手続きを済ませ、搭乗口へ。しかし、まだ搭乗は始まっていなかった。
 17:50に搭乗開始、無事に席に座ることが出来た。心底から安心し、今になって胃が痛くなってきた。旅の終わりの寂寥感と満足感などどこかに吹き飛んでしまっている。
 定刻より1時間遅れの22時(時計が1時間進む)に成田に到着。いつもながらタキシングが長過ぎる。預託手荷物を受け取ったら23時になっていた。車で空港まで来ていた両親に自宅まで送ってもらう。


 今回の旅行日記は、帰国後に書いている。改めて思い返してみると、意外なほどにラサでの出来事を覚えていない。写真を見返しても、やはりラサの写真は少ない。やはり、意識が朦朧としたまま過ごしていたのかもしれない。しかし、ラサで出会った仏の印象はよく残っていたりする。
 鎖国や『解放』後の混乱もあり、(事の善悪は別にして)歴史上もっともチベットを訪れ易い時期といえる。しかし、事情がいつどのように変わるか分からず、高山病に悩まされつつもラサを訪れて本当に好かった。また、鉄道の車窓から見た中国内陸部の発展ぶりも印象的だった。観光だけに留まらない、言葉に出来ない影響も含めて、いろいろなものを得た旅だった。


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