Saint Petersburg / Epilogue

 0730起床。今日は実質的な旅行の最終日。2350発のKE930でインチョンを経由し、成田に戻る予定。2050に、ホテルのロビーに空港までのトランスファーが来る予定なので、ほぼ1日を観光に充てることが出来る。荷造りをして朝食を摂り、チェックアウトを済ませて、荷物をクロークに預け、0900に観光開始。


 午前中は、LPに掲載されていた運河沿い歩きコースを歩いてみることにする。まずは地下鉄で、イサク聖堂の最寄り駅となるアドミラルティエイスカヤ駅へ。1駅ずつ3回乗り換えるという、何とも不便なアクセスだ。この駅が宮殿広場に最も近いので、この駅に直接アクセスできるメトロ路線の駅近くのホテルが便利ということになるだろうか。駅を出てみると、曇り空で、今日も風が冷たく感じられる。長袖を羽織っていても、少し寒く感じるくらいだ。
 イサク聖堂のKACCAの前には行列が出来ているので、その後ろに並ぶ。なかなか進まない。そのうちに雨まで降り出してきた。最終日というのに、天気には恵まれない1日になるのだろうか。と、KACCAの他の窓口も開いた。何のことはない、まだオープン時間になっていなかった、ということだった。250Pの拝観料に1,000P札を出したら、おばちゃんにロシア語で文句を言われた。こういうところはまだまだであるが、これがなくなったら寂しく感じるやも知れぬ。
 さて、外から見れば莫迦みたいにでかい建物という印象のイサク聖堂だが、中は宗教絵画やイコンで埋め尽くされており、壮大な宗教建築だった。絵画が中心なので、むしろヨーロッパの教会に近いように思われる。主祭壇に祀られているのも

ステンドグラス
だった。雨宿りも出来るし、暖かいし、しばし見とれながら休む。(


 30分ほどでイサク聖堂を後にして、運河沿い歩きを開始。雨は止んでいるが、やはり肌寒い。マーラヤ・モルスカヤ通り沿いを歩く。この通りは、帝政時代に富裕層が住んでいたエリアで、特に銀行が多かったそうな。(

) そのままネフスキー大通りを横断する。さらに、旧参謀本部の建物のアーチを潜り、宮殿広場へ。いつ観てもこの広場のスケールは凄い。と、通り沿いで何やら自動車の爆音が響いた。何かのイベントらしい。排気ガスが立ち込める。迷惑なイベントだ。
 エルミタージュ美術館の横を通り、小さな運河へ、さらにモイカ運河へ。この辺りは水路と建物のコントラストが本当に美しい。ここで突然の驟雨。15分ほどで止んだが、今日は雨に祟られるのだろうか。モイカ運河沿いを建物を眺めながら歩く。(

 ほどなく『血の上の救世主教会』に着いたので、250Pを支払い、内部に入った。ここも、モザイク画で埋め尽くされている、壮麗な宗教空間になっている。モザイク画を観ていると、何となくエルサレムを思い出す。(
)
 血の上の救世主教会を出て、ネフスキー大通りへ戻ったところで1200になったので、昼食を摂るために、ロシア・ファストフードチェーンの1つ『チャイナーヤ・ローシュカ』へ。ここでも、挽肉のブリヌイ・蜂蜜のブリヌイ・コーヒーを注文し、180Pを支払った。手頃な価格で簡単に食事を摂れる店が増えたことは、旅行者としては本当に有り難い。味も悪くなかった。
 運河沿い歩きは、カザン聖堂の横の道を通り、
グリフィンの像のある橋
でゴール。この橋が有名らしいのだが、正直、それほどのものにも見えなかった。


 午後は、エルミタージュ美術館を観光することにする。ネフスキー大通りを宮殿広場へ戻る。今日は、爆音を響かせて疾走するバイクが本当に多い。そういえば、ハーレー・ダビッドソンがイベントをやっていたようだが、それと関係があるのだろうか。乗っている当人はいい気持ちだろうが、周りにとっては騒音でしかない。こういうイベントを企画するような企業は好きになれない。
 さて、エルミタージュ美術館では、チケットを購入するために長い行列が出来るということで、日本で予めインターネットでチケットを購入しておいた。アーチ下部のブースで、購入した際にPDFで発行されたバウチャーのプリントアウトとパスポート(名前の確認のため)を提示すると、入場券を渡してくれる。このおかげで、長い行列の横をすり抜けて、あっさりと入場することが出来た。
 エルミタージュは、美術館であり、宮殿建築でもあるので、両方を一気に楽しめるスポットである。まずは宮殿建築の観光を中心に歩いてみることにした。ガイドブックや、現地で配布されている地図を頼りに、有名な部屋などを訪ね歩くことにする。まず目にするのは、ペテルブルクの宮殿建築で何度も名を耳にするラストレッリの『大使の階段』。エカテリーナ宮殿やペテルゴフで何度も目にした、あの寄りかかり難そうな壮麗な壁をここでも目にすることが出来る。確かに、外国からの使者にロシアの富と威厳を見せつけるにはうってつけかもしれない。(



 階段を昇ってからは、いくつもの部屋を通っていく。ただ、建物を見ればいいのか、展示物を見ればいいのか、すぐに分からなくなってくる。この辺りはあまり有名な作品もなさそうなので、建築を中心に見ていく。

孔雀石の間
黄金の客間
ブドゥアール
大玉座の間
、エカテリーナ女帝の4人の愛人が住んでいた
パヴィリオンの間
などが有名。パヴィリオンの間には、機械仕掛けで有名な
孔雀の時計
が据え付けられている。3日間で3つも宮殿を見ると、もう何が何だか分からなくなってくる。こんなに宮殿が必要だったんですかね?


 さて、イタリア美術の部屋に入ったところで、観光客も美術品に注目することになる。レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロといった、私でも名前を知っているような芸術家の作品が展示されている。ゴヤ、ルーベンスなど、有名な芸術家の作品のある部屋には人だかりがしているのですぐに分かる。
 もっとも、ただでさえ広い上に入り組んでいるので、かなりの距離を歩くことになる。幸いベンチがあちこちにあるので、座る場所に困ることはないが、トイレは1階に1箇所しかないことには要注意である。また、フランス美術を観るためには3階に行く必要があるが、階段の位置も分かり難い。その代わり、ルノアール・モネ・ゴーギャン・マティス・ピカソなどがずらりと並んでいるのは圧巻である。…が、もう盛りだくさん過ぎて、感動がなくなってしまうのだ。この中の1つだけでも、日本ではエキシビションの目玉になり得るはずなのだが。
 なぜか3階の一角で日本美術の部屋があった。浮世絵や印籠、刀剣などが展示されている。なぜか安心感を覚えた。周囲には、中央アジアやチベットの展示もあり、特にチベットの展示は意外に充実している。3年前のラサ旅行が思い出された。窓の外からは

旧参謀本部
が見渡せる。




 1700を過ぎ、さすがに疲れたので、エルミタージュを出る。ネヴァ川沿いへ出て、川の反対側を眺める。川の反対側にも観光ポイントがたくさんあるのだが、今回はツァールスコエ・セロやペテルゴフを優先したので諦めざるを得なかった。次ということがあるさ。(


 ネフスキー大通り沿いのカフェチェーン"Cafe Haus"に入り、モカコーヒーで一休み。ちなみに、このモカコーヒーが215Pで、昼食よりも高くついた。
 1800に店を出て、宮殿広場で名残を惜しむ。サンクトペテルブルクは本当に明るく、美しくなった。いつか、また訪れたときには、どんな街になっているだろうか?(

 夕食は、何度も訪れた"Tepemok"で、キノコのクリーム煮込みのブリヌイ・ペリメニ・林檎のブリヌイにペプシコーラで、330Pを支払った。今回の旅行の食事は半分以上ブリヌイだったような気がする。次回のロシア旅行では、寿司を食事の中心にしてみたいなぁ。


 2000にホテルに戻った。ここからは帰国の準備である。まず、トイレに行き、ウェットティッシュで汗を拭き、シャツなどを着替え、歯を磨いておく。こうしておくと機中の不快感が緩和される。着替えなどをスーツケースに収め、機内で必要なものやPCをバックパックに収めて、トランスファーを待つ。
 2045にトランスファーが来てくれた。空港までの車窓を眺める。15年前は、ぼろぼろの集合住宅と廃墟のような工場しかなかった。もちろん、それらも残っているのだが、ビルの1階には店が隙間なく入居し、道は整備され、新しいビルやショッピングセンターも建ち、見違えるようだ。途中には、『英雄都市レニングラード』の文字をよく見かける。中心部は帝政時代の『サンクトペテルブルク』が美しく蘇り、周辺部では『レニングラード』が現代化され、さらに新しい『サンクトペテルブルク』が次々と生み出されている、といったところか。
 2115にプルコヴォ2空港に到着。まず簡単な荷物検査があるが、係員が真面目に仕事をしているようには思えなかった。そこからチェックインカウンターに進むのだが、既に行列が出来ているうえになかなか進まず、チェックインを完了するまでに45分もかかってしまった。いつも思うのだが、自分のチェックインはほとんどの場合スムーズに完了するので、なぜあんなに時間がかかることがあるのか分からない。
 と、ここで係員に呼び止められた。預けたスーツケースを開いて見せろ、という。変なものを入れた記憶はないのだが、素直に従い開く。シェーバーのケースが何だか分からなかったようで、開いて見せると、それで終わり。
 そのまま出国審査へ。出国カードをちゃんと保存していたので、ここも問題なく通過。さて、Duty Freeの品揃えもそれほど多くないうえに、空港自体がぼろいので、久しぶりの侘しさを覚える。バクーの空港を思い出した。国際的な観光都市としては貧弱な空港設備だが、今年の12月に新しいターミナルが運用を開始するのだそうな。
 ロシアの空港らしく、搭乗ゲート前にもう一度手荷物検査がある。ここも早目に通過しておく。(ただし、通過すると戻れないので、トイレに行けなくなる。)最近、機内にいくつも荷物を持ち込む人が増えているので、早めに乗らないと、自分の頭上の棚に荷物を収められないことになるので要注意である。
 2325に、いきなり全ての搭乗客の搭乗受付を開始した。早めに行ったのに、隣の列の客が早くも私の席の頭上に自分の荷物を入れている。そのくせ、自分の頭上の棚には収めていない。"Sorry" じゃねぇだろが。幸い、まだスペースはあったので、自分のバックパックを収めることが出来た。と、隣の席の若い兄ちゃんが、4つも荷物を持って乗ってきた。私のバックパックを他のところに移して欲しいらしいのだが、分からないふりをして、隣の列の頭上棚に収めるように言う。それにしても、4つも持ち込むとはねぇ。航空会社も、『手荷物は1人1つ』を厳格に運用して欲しい。今のままでは、正直者が馬鹿を見るだけだ。


 0010に離陸、さらばロシア、いつかまた絶対に来ます。時差を考慮するとあまり眠らないほうがいいのだが、半分くらい眠ってしまった。1330にソウル・インチョン空港に到着。トランジット手続きを終えて、今年も無料のシャワーを浴び、昨日の日記をつけておく。
 1630に、成田行きKE707に搭乗、1700に離陸。さて、予定よりも早く1910に着陸したのだが、タキシングが長く、機外に出られたのは1930だった。毎年思うのだが、成田空港は日本の玄関口として相応しいとはいえないように思う。


 なかなか行き先を決めることの出来なかった2013年の旅だったが、終わってみれば清冽な印象が強く残る、いい旅だった。


Return to Index