Москва

 曇り。気温10度前後、やや肌寒い。今日は、赤の広場を中心にひたすら歩き回った。曇り空で写真を上手く撮れないのが残念だった。上手く撮れていないところはまた行くことにする。また、この街は意外に歩きづらい。交差点を含め、横断歩道がほとんどないのだ。その代わりに地下道があるのだが、そこでは物を売っていてうっとうしいことこの上ない。それに、夜はあまり歩きたくない。


 まずはインツーリストに出向いて、航空便のリコンファームや9/25の空港へのトランスファーの確認をする。手数料を$2ほど取られた。また、エクスチェンジ・バウチャーをもらおうとしたら、「あなたの持っているコピーで大丈夫だ」という。不安は尽きない。


 

ホテル
から歩いて3分程度、道路を渡ればそこに
聖ワシリー聖堂
(Храм Василия Блаженного)がある。非対称に伸びているねぎ坊主が美しい。イワン雷帝の命により設計を行なった設計者は、2度と美しいものを作れないよう目をつぶされてしまったのだとか。
 聖ワシリー聖堂の前が
赤の広場
(Красная площадь)である。ついに来た!という感じで、独りで行進したりしてみた。聖ワシリー聖堂の横に
スパスカヤ塔
が立ち、クレムリンの城壁が続く。クレムリンの城壁の壁以外は取りたてて赤いところはないが、ロシア語の"Красная"には「美しい」という意味があり、これは「美しい広場」の意味らしい。赤の広場を挟んで反対側には、モスクワ最大の百貨店
グム
(гум)がある。実際は、百貨店というより巨大なアーケード商店街といった感がある。


 

トロイツカヤ塔
からクレムリンの中に入った。入場料は150P。入ってすぐの右手にある近代的な建物が
大会宮殿
で、以前はここでソヴィエト共産党大会等が開催された。さらに真っ直ぐ行くと、十二使徒聖堂、
ウスペンスキー大聖堂
ブラガヴェシェンスキー大聖堂
アルハンゲリスキー聖堂
と続く。なぜか、クレムリンの中は聖堂でいっぱいなのであった。しかも、各教会の内装はイコンやシャンデリアで飾られ、豪華この上ない。
 おかしなものとしては、口径890mmを誇るが一発も発砲していない
大砲の皇帝
と、重さ200tだが鋳造途中の人為ミスで割れてしまったという
鐘の皇帝
がある。
 宮殿もいくつかあり、ソ連最高会議場だった
大クレムリン宮殿
、現在は大使の接見などに使われているグラノヴィータヤ宮殿、かつてはレーニンも住んでいたという元老院等がある。これらは、いずれも近づけなかった。警備員がたくさんいて、外れたところを歩くと注意されるのだ。宮殿ではないが、変わったところで
イワン大帝の鐘楼
がある。以前は、これより高い建物をモスクワに建ててはいけなかったらしい。そんなことまで規制してどーする。
 さて、クレムリンの最大の見所は、実は武器庫である。ここには、ロシア帝国の富が集まっているのだ。別に入場料が75P必要だが、全く惜しくない。宝石をちりばめた装飾品、金属工芸品、刀剣類、玉座や馬車等々… 総額なんて、考える気も起きないほどである。個人的には、ファベリジェが作った
イースターエッグ
が気に入った(撮影禁止を承知で、無理に撮ってみた^^;)。卵ほどの大きさに細工の極致が仕込まれている。精巧という言葉はこの作品群のためにある。
 さらに、この武器庫の中からダイヤモンド庫も見学できる。さらに入場料122Pが必要だが、巨大な金塊、そこらで売っているものとは大きさも輝きも桁違いの宝石をふんだんに使った装飾品を見ることが出来る。女性ならば、ため息が出てしまうのではないだろうか。こんなコレクションを見ていると、この国の何処が金融危機やねん!という気になってくる。帝政ロシアはこんなものを作り出すだけの富の生産力を持っていたのだ。それが極度に偏在した故の革命だったのだろうか。しかし、今は富の生産力すら喪っているような気が…


 そんなこんなで呆然としつつクレムリンを後にし、近くのアレクサンドロフスキー公園で10Pのホットドッグで昼食。情けない。その後、いったん赤の広場に戻り、

ルビヤンカ
(Лубянка)へ行った。ここは以前、KGB(КГБ)本部があったところだ。写真中央のクリーム色の建物がそれである。また、この広場の中央にはKGBの前身チェカーの創設者ジェルジンスキーの銅像があったのだが、撤去されてしまったらしい。この建物をはじめ、よく見るとあちこちにソヴィエトのマークが残っている。
 ルビヤンカから劇場通りを歩いていくと、劇場広場に着く。ここには、
カール・マルクス像
(Памятник К.Марксу)がある。自らの理論体系で世界のシステムを永久に変えた大天才の一人として、私は尊敬している。台座には、かの有名な万国の労働者よ、団結せよ(Пролетарии всех стран, соединяйтесь)の言葉が刻まれている。その前には、かの
ボリショイ劇場
(Большой театр)がある。明晩、ここでバレエを観る予定。


 さらに行くと、マネージ広場につきあたる。ここから、トヴェルスカヤ通りを歩いていった。途中には、中央電報電話局があるが、容量の都合でここでは写真を紹介できません。電話局ファンの方、ごめんなさいm(..)m さらに行くと、中央革命博物館がある。ロシア革命の資料を大量に収めてある博物館で、これまで観た「帝政ロシア」ではなく、「ソヴィエト連邦」の面を観られるところとして楽しみにしていたのだ。が… 展示物の大半がビラやパンフ、演説原稿に本に写真と、ロシア語が分からないと何がなんだかさっぱりである。こんなところに来る外国人も少ないのか、英語の解説もない。仕方ないので、ポスターや旗、兵器の模型を中心に観た。人間を妙に逞しく描く社会主義国独特のポスターは、1930年代にはスタイルが確立している。さすがに今のロシアにはそんなのはないが、今でもそんなのを作っている国もあったりするわけで… 
 ここのお土産ショップはなかなかで、スターリンのポスターの複製とか売ってる。ポスターのパロのTシャツ2枚を190Pで買った。ところで、誰も入場料を払えと言わないので無料だと思っていたら、帰る際に入り口に入場券売り場があることに気がついた。だって、誰もいなかったんだ! ちなみに8P。


 そうこうしているうちに、えらく腹が減ってきた。何せ、よく考えたら昨日からまともに食事していない。手持ちのルーブルも少なくなってきたので、カードを使えるレストランに行こうと思い、トヴェルスカヤ広場近くの

アラグヴィ
(Арагви)という店に入る。グルジア料理の店ということだ。メニューを見ても何がなんだか分からないので、ウェイトレスさんにお勧めを聞きつつ、一通りコースもどきに仕立てた。以下、料理名はウェイトレスさんが書いてくれた英文表記名です。
 全体としては、不味くはないけれども、もし東京だったら2度は行かないな…というレベルの味だった。値段は290Pだった。


 急に疲れたので、グムを通りつつ部屋に帰った。ところが、また迷ってしまった。延々と同じ景色の窓のない廊下が続き、四隅に全く同じ作りの軽食屋…これで方向感覚を失うなという方が無理だ。せめて、東西南北や簡単な部屋番号案内くらい出してくれたっていいのに…と思うのは、私の思想が資本主義に毒されているからでしょうか?


 なお、パスポートとビザは無事に取り返しました。
 それにしても、拝観料(?)が結構高いので、ルーブルがほいほい出ていく。街の買い物をするとなればルーブルの現金を使わざるを得ないので、少々不安である。


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