Praha

 7:20に起床。朝は少し冷えるようだが、心地良いくらいである。ホテルで軽く朝食を摂って、8:30には街に出る。
 まずは、起点となる共和国広場へ。ここには、アール・ヌーボー様式建築の代表作ともいわれる

市民会館
(Obecni dum)がある。ここには、『プラハの春』音楽祭の舞台となるスメタナ・ホールがあり、今夜もヴェルディのオペラを上演する予定となっているのだが、チケットは残念ながら売り切れだった。市民会館の横には、
火薬塔
(Prasna brana)が建っていて、ここから『王の道』と呼ばれる道がスタートするので、それに沿って歩いてみることにする。
 火薬塔をくぐると、
ツェレトナー通り
(Celetna)に入る。昼間観れば、いかにも欧風の建築が建ち並ぶショッピング街だ。ここを抜けると、やがて旧市街広場に出る。ここには、いくつもの時代の様々な様式の建築が一堂に会している。重厚な造りのバロック様式の塔を持つ
旧市庁舎
(Staromestka radnice)の真向かいには、ゴシック様式の
ティーン教会
(Kostel Panny Marie Pred Tynem)、その左には
石の鐘の家
(Dum u kamenneho zvonu)、さらにその左にはロココ様式の
ゴルツ・キンスキー宮殿
(Palac Golz-kinskych)と続く。そして一角を占めるのはバロック様式の
聖ミクラーシュ教会
(Kostel sv.Mikulase)と、豪華この上ない。一個所にこれだけ集めればかえって不調和を起こしそうなものだが、違和感がないのもまた不思議である。
 中でも、一番の名物は旧市庁舎の
天文時計
。天動説に基づき、上が天体の動きを示し、下が暦を示す、複雑極まりない時計だ。また、正時になると、死神の合図に従って十二使徒が顔見せするが、評判ほどには大したからくりではな。時計そのものが驚きだ。この時計を作った人は、妬まれて目を潰されてしまったとか。どっかで聞いたような話である。
 広場の中心には
ヤン・フス像
が立つ。カトリック教会の腐敗を批判して宗教改革の先駆となり火あぶりになってしまったという人だが、チェコでは英雄として扱われている。
 旧市庁舎の横から、昨日も迷った
カレル通り
(karlova)に入る。もともとこのカレル通りは一本道ではなく、複雑な路地を縫うように通っているので、今度こそは迷わないよう、地図を見ながら辿ったのだが…また迷ってしまった(--;) うろうろしているうちに、突如ヴルタヴァ川沿いの道に出られたので、カレル橋を目指して戻る。これで『王の道』を辿るのはお終い。


 

カレル橋
(Karluv Most)は築600年にもなろうという古い橋で、プラハの市街地と王城を結んでいる。
橋の上
には30体もの聖人の像が立ち並ぶ。橋の途中に
聖ヤン・ネポムツキー像
というのがあるが、このレリーフに左手で触れると幸運が訪れるという。橋の上から眺める
ヴルタヴァ川
(VLTAVA)は本当に美しく、スメタナの『モルダウ』が良く似合う。もっとも、よく見ると水は汚いなんてことは内緒だ。…などと歩いているうちに、対岸には
プラハ城
が見えてくる。
 カレル橋を渡ると、フラッチャニ地区(Hradcany)に入る。プラハ城は丘の上にあり、登るのは大変だなあ…と思っていたところ、ここにも聖ミクラーシュ教会というのがあり、その前の広場にトラムの22番がやってきたので、方向が心配ではあったが観光客がたくさん乗るので大丈夫だろうと思い乗る。予想通り、3つめの停留所がプラハ城(Prazsky hrad)だった。


 停留所から城門をくぐると

第二の中庭
に出る。左手の門をくぐると、
聖ヴィート教会
。この横の第三の中庭を抜けると、
旧王宮
。聖ヴィート教会と旧王宮の間を抜けると
イジー広場
に出る。さらに歩いていくと、昔は錬金術師や貧しい者達が住んでいたという
黄金小路
へ出る。とても小さな、しかしカラフルな家が建ち並んでいる不思議な一帯だ。カフカも一時ここに住んでいて、
当時の家
も残っている。いったん第二の中庭まで戻り、右手の
マチアス門
をくぐると第一の中庭に出る。つまり、ここが正門なのである。この両側にチェコ国旗が掲揚されている時は、大統領が中で執務中ということである。
 プラハ城を後にすると、高台から
プラハ市街
一望に出来る。赤い屋根の多い中世風の街であることが分かる。プラハ城の城壁を左手に、
新登城道
(Zamecke schody)を下る。階段があるとはいえ、これを登らされてはたまらない。偶然にトラムをつかまえられた幸運に感謝する。道を下ると聖ミクラーシュ教会前の広場に戻れるので、カレル橋を渡る。橋のたもとにある塔には登ることができ、ここからの
眺め
は素晴らしい。さらにいったん旧市街広場まで戻ってオープンカフェで昼食にした。(そう、ここまでまだ午前中なのだった!)


 昼食後、旧市街広場からユダヤ人地区(Josefov)に入る。ここは以前、ユダヤ人が強制的に住まわされた地区で、混沌とした街並だったらしいが、現在は整備され、シナゴーグなどが残っているのみだ。中欧最古のシナゴーグである

旧新シナゴーグ
(Starnova synagoga)、なぜか逆回りに動く時計(ヘブライ語は右から左に読むのだそうな)を備えた
地区集会所
(Zidovska radnice)…道筋も整備され、ユダヤに造詣があるわけでもないので、正直ピンとこない。ただ、街角にはダビデの星とヘブライ語があちこちに見られ、その筋の方にはたまらないものがあるだろう。
 地下鉄C線の駅が近いので、ついでにプラハ本駅(hlavni nadrazi)を偵察し、明後日の乗り換えの感覚を養う。その後、Muzeum駅まで戻り、プラハ一の繁華街である
ヴァーツラフ広場
(Vaclavske namesti)へ出る。広場といっても、大通りみたいなものだ。広場の端には
聖ヴァーツラフの騎馬像
が建っている。また、広場の途中に、1968年の『プラハの春』事件の際にソ連軍の進駐に抗議して焼身自殺した
ヤン・パラフの記念碑
がある。途中には、アール・ヌーボー様式の
ホテル・ヨーロッパ
がある。
 ところで、アール・ヌーボーの代表的画家であるアルフォンス・ミュシャ(チェコ語ではムハ)はチェコ出身らしい。アール・ヌーボーなどよく分からない私も、とりあえず
ムハ美術館
(Muchovo Museum)へ行ってみた。が…いかん、どれを見ても同じに見える。タロットカードでも描かせたらいいものが出来るかもしれない。
 ナ・プシコーピェ通り(Na prikope)を少し行くと共和国広場へ出るので、三度旧市街広場へ出る。驚いたことに、これでプラハ市内の主な見所は全てまわったことになる。ここからは、お土産でも見ながらさ迷うに限る…というわけで、カレル通りを経てカレル橋へ出て、絵描きさんから小さな絵を買った。近くのカフェで休んだ後、トラムで再度プラハ城へ行った。高台から見る夕暮れのプラハも美しい。登城道を再度降りて、マラー・ストラナ(小地区)(Mala Starana)へ行った。
日本大使館
もここにあり、ずいぶんと洒落た建物を使っている。
 いい加減疲れてきたので、軽い夕食を摂ってホテルに帰ろうと思い、市民会館脇のカフェに戻った。博物館や劇場のカフェは安くて美味しいというのが定番なのだが、ここのプラハハムサンドイッチもとても美味しかった。

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