今日はリーガへの移動日。バスの出発時刻が07:00なので、05:40に起床し06:30にチェックアウト。
に向かい、昨日教えてもらった26番のレーンに行くと、Eurolineという真新しいがいる。リーガへ向かうことを確かめ乗車する。乗客も多く、ほぼ満席だ。
バスはヴィリニュスの郊外からハイウェイを北上する。街を抜けるとあっという間にとなる。畑と牛・馬・羊の放牧場が何処までも続くのどかな光景だ。2年前にプラハ-ミュンヘン間で観た農村ほどには洗練されておらず、本当の田舎という印象だ。08:50に(Panevezys)という街に停車し、さらに乗客を乗せる。おんぼろのソヴィエト時代のアパートの1階にファッションのショウウィンドウがあるという奇妙な街だった。
再びハイウェイを北上する。このハイウェイはどうやらバルト三国の首都を結んでいるものらしい。'89にバルトの人々が手をつないで三国の首都をつなぎ、独立の意志を示した『人間の鎖』は、この道で行われたのではないだろうか。
10:00頃、ラトヴィアとの国境のに入る。係官が乗客全員のパスポートを持っていってしまい、あとはひたすら待つのみ。約1時間後、ようやく全員のパスポートが返され、再び出発。
またも農村風景の中を走っていくと、右側に大きな川が流れている。恐らくダウカヴァ川だろう。この川の先に目指すリーガがある。12:00に、予定通りリーガのバスターミナルに到着。荷物を受け取り、予約したホテル"Riga"へ。途中の銀行でついでにラトヴィアの通貨(ラット・Ls)を両替したのだが、手数料をけっこう取られたこともあり、$50が23.70Lsにしかならなかった。$1=0.6Lsくらいらしく、ラットがやたら高いのも事実ではあるが、手持ちの現金の額が少ないと不安になる。
ホテルにも無事にチェックインし、気になっていたバスのチケットも無事に受け取った。(レシートのような紙切れでしかないのが若干気になるが…)518号室はツインの部屋でまぁまぁといったところ。2基しかないソヴィエト製エレベーターが狭い上に遅いのが最大の問題である。
ホテルにはInformationもあり、立ち寄ってみると"Celebration of Riga800"というパンフをくれた。今年はリーガ創建800周年に当たり、"Riga800"という名称で年間を通じて様々なイベントが行われることは知っていたのだが、どうやら今日から3日間がそのメインイベントに当たり、しかも明日は"Riga Through Centuries - 800 years in 800 minutes"ということで、朝から深夜まで街中でいろいろなイベントが行われるらしい。このことを全く知らずに旅の計画を組んでいたので、幸運に感謝せざるを得ない。
ふと、かかっていた時計を見ると14:00を指している。私の時計では13:00なので、もしや…と思い尋ねてみると、やはりヴィリニュスよりも1時間進んでいるとのこと。危なかった。特に時計の遅れは致命傷になり得る。
とにかく昼食を摂りたいと思い、まずは街へ出る。リーガはハンザ同盟にも加盟した古い都市で、ドイツの影響を強く受けているため、旧市街はドイツの街並みのような趣である。建物は改修されたものが多く、街行く人も明るくお洒落な服装で、ヴィリニュスよりもずっとあかぬけた印象だ。『ウィルヘルムス』(Vilhelms)という店で、挽肉とバナナのパンケーキとコーラで昼食。これで1.2Lsなので、物価は安いほうだろう。
旧市街をほぼ二分する(Kalku)を経て、まずは観光の起点となるドゥアマ広場(Doma Laukums)へ。ここにはリーガのランドマークの1つである(Rigas Doms)がある。ドーム状の屋根と時計が特徴的だ。広場はRiga800のメイン会場の一つでもあり、コンサート会場の設置が進められていた。また、学生アルバイトのような人たちがCDを売り歩いており、思わず私も2枚ほど買ってしまった。計12Ls也。
ドゥアマ広場から、まずは旧市街の北側を散策。古い街並みの端に(Rigas pils)がある。歴史の中で様々な戦いの舞台となり、現在は大統領官邸として使われている。さらに歩くと(Sv.Jekaba katedrale)へ。この尖塔もリーガの風景を構成する重要な要素だ。教会の向かいには、リーガでも古い住宅である(Tris brali)へ。真ん中の家はリーガでも最も古い建物なのだそうな。
ドゥアマ広場へ戻り、いったん(Daugava)のほとりへ出る。街には川が必要なのだ。川から(Melngalvju nams)へ。この建物は2000年夏に再建されたばかりのものだが、当時の様子を忠実に再現しているのだとか。色とりどりの装飾や複雑な時計(これを造った人は同じ物を作れないよう目を潰されてしまったとか…って、こんな話を聞くのも3度目である)などが往年のギルドの勢力を物語っている。ここではRiga800の記念Tシャツを売っていたので、また買ってしまった。9.50Ls也。
脇を抜けると(Sv.Petera baznica)へ。ここの塔もリーガの特徴の一つである。煉瓦造りの(Sv.Jana baznica)を経て、再びカリチュ通りへ出ると、簡単に旧市街を一周したことになる。
もちろん、リーガにもつらい現代史がある。カリチュ通りを北へ行くと、が3つの星(ラトヴィアの3つの地方を表わす)を掲げ、土台には"Tevzemei un Brividai"(祖国と自由に)と刻まれた(Brividas piemineklis)がある。'87年6月、シベリア大量流刑の犠牲者を追悼して市民がここに集まった時からバルト三国の独立運動は始まったともいわれ、それまでは近づくだけでシベリア送りといわれるような場所だったそうな。この近くの公園には、'91年1月にソヴィエトの部隊が内務省を襲撃した際に死者の出た場所にが置かれ、いまも花が絶えない。
みたびドゥアマ広場へ戻り、さらに$30を追加で両替して18Lsを手に入れ、リーガ大聖堂で19:00から行われる合唱コンサートのチケットを1Lsで購入する。時間があるわり腹も減っていないので、いったんホテルへ戻り一休み。
19:00より合唱コンサートを聴く。本日が初演となる合唱曲で、あくまでも静かな男女の声がラトヴィアの苦難の歴史とそれを乗り越えて勝ち取った現在の独立と自由を思い起こさせ、なかなか良かった。ただ、大聖堂の巨大なパイプオルガンの音を聞いてみたかったのだが…
20:40よりドゥアマ広場で開会セレモニーが行われる。が祝辞を述べるが、ラトヴィア語なのでさっぱり分からない。次いでエストニアの大統領らしき男性が英語で祝辞を述べるが、はっきりとEUおよびNATOへの加盟を打ち出していたのが印象的だった。その後、ジャズ演奏が始まったが、いい加減疲れたので、途中の店でサンドイッチと水を調達しホテルへ戻る。カリチュ通りでスキンヘッドやモヒカンのグループに遭遇した。どうやらクラブがあるらしい。西欧化は予想以上のペースらしい。
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