Shiraz

 国内線のターミナルは、これまた思い切ってぼろいつくりである。チェックインカウンターは16個あり、それぞれペルシャ語だけでなく英語の表示もあるので一安心。何せ、ペルシア語の数字なんざ読み取れない。…と思っていたが、じっとみているうちに0~9までは覚えてしまった。(4と6を時々読み間違えるが。)それにしても、文章や単語は右から表記するのに、数字は左から書くというのだから不思議。
 空港内の設備といえば、まずお祈り部屋(Prayer's Room)があるのはお国柄といえよう。あちこちにホメイニー師とハータミー師の肖像画が掲げられているあたり、現役ばりばりの革命国家であることを実感させてくれる。売店もあるにはあるが、バチモノとしか思えない電卓、蚯蚓がのたうちまわったようなペルシア文字で書かれたディズニーの絵本やHarry Potter(これはちょっと欲しくなった)など、まともなお土産もない。
 まだチェックインも始まらないのでぼーっと座っていると、またもや英語で話しかけられる。今度は数学者で、タブリーズへ帰るところなのだそうな。いろいろ日本のことを訊ねられ、お返しにイランのことや搭乗手続きなどについて教えてくれる。さらに、イングランドから来たという英国人が合流。いわく、ムスリム(イスラーム教徒)でマシュハドに聖地巡礼に行くのだそうな。明け方の空港で、タブリーズへ帰るイラン人数学者・マシュハドへ巡礼に行く英国人ムスリム・シーラーズへ観光に行く日本人旅行者という、かなり妙な一団が形成され、数学者は大喜び。
 2人とも出発時刻が私より早いので、私よりも前にチェックインし搭乗手続きへ。続いて私も後を追い、中で再び合流。英国人の彼はマシュハド行きに乗ったが、マシュハドへついた後のことはその時考えるそうな。数学者は友人と合流し、コーヒーをおごってくれた。すると、突然何やら唄うような旋律が流れ出す。『アザーン(イスラーム教の祈りの呼びかけ)だよ』と教えてくれた。朗々たる声の響きが美しい…が、ほとんど誰も祈っていない。いわく『面倒だから…』 てっきり、イランの人は皆一日に何回も祈っているのかと思っていただけに驚きである。また、待合所には女性のグループもいくつもあって、それぞれに賑やか。チャードル(頭から足まで覆う黒い布)もしくはヘジャーブやマーントーを被っているだけで、態度は日本の女性とあまり変わらず快活だ。ただし、男女のグループというのは、家族以外は見かけない。また、ヘジャーブにしても、若い人は黒ではなく明るめの色を用い、できるだけ顔を表に出そうとしているようだ。ちなみに、目鼻立ちのはっきりした美人が多い。(男性もアーリア系の顔立ちで格好良い人が多い。)先ほどのインフォメーションの女性のこともあるし、イスラーム教国家だからといって、別に女性が静かに暮らしていなければならない、というわけでもないようだ。先入観が次々に崩れていく。
 数学者もいよいよボーディング。メイルアドレスを交換した。私が乗る予定のシーラーズ行きIR425も06:10にボーディングの案内があり、乗り込む。初のイラン航空で、航空会社マニアとしては歓喜に堪えないところである。機材はエアバスで一安心だが、マイレージ・プログラムがないのは残念極まりない。あとは06:40の離陸を待つのみ。…と思って一眠りし、ふと起きてみるとまだテヘランの空港にいるではないか! 時計は07:30, 何やらアナウンスがあるが当然ペルシア語なので分かるはずもない。すると、またもや隣に座っていた人が英語で『離陸に必要な書類がないので準備中だとさ』と教えてくれた。この人もまたいろいろ聞きたがるので、同じような問答を繰り返す。シーラーズに住んでいるとのことで、『何か困ったことがあったら連絡してくれ』とcontact infoをくれた。彼もyahoo.comのメイルアドレスを使っており、Yahoo!はイランでも人気なのだろうか? 『なぜイラン人はこんなに親切なのか?』と訊ねてみると、『日本人や中国人は西欧人に比べて親切だから』との答え。07:50にようやく離陸し、09:30にシーラーズに到着。シーラーズは、ハーフェズやサァディーといった偉大な詩人の廟などの庭園が美しい街であり、かの有名なペルセポリス観光の拠点ともなる街でもある。


 空港では女性のエージェントが出迎えてくれ、荷物を受け取ってホテルへ。広くまっすぐな道と、中央分離帯に植えられた椰子などの植物、そして道の両側に建っている低く(崩れかかった)煉瓦造りの家などが、これまでに訪れた国々とは異なった印象を与えてくれる。当然、商店の看板もアラビア文字ばかりだ。交通事情はかなりひどく、道幅は広いものの、追越し・割込み・駐停車が頻繁で、車線も何もあったものではない。そのうえ、歩行者がほいほいと車の間を縫うように渡っていくのでかなり怖い。
 10:30に

"Parsian Hotel"
に到着。外国人向けの、高級な部類に入るホテルだろう。チェックインの後、イスファハーンへ向かう明後日のピックアップの確認をし、さらに、明朝にペルセポリスへ行くためのタクシーの手配をレセプションに依頼する。割り当てられた510号室は広さも十分で、CNNも見られるので満足。荷物を開けていると、さっそくタクシードライバーから電話があり、流暢な英語(英語を使える人、とリクエストしておいた)で『朝に行くと暑いし、夕方のほうが綺麗だから、今日の夕方でどうだ?』とのこと。今日は休みたかったのだが、どうせなら涼しくて綺麗なほうがいいので、15:30にホテルでピックアップとする。ちなみに、ナグシェ・ロスタムも廻って100,000Rls也。
 街の感じを掴み、昼食を摂るために外出。少し歩けばザンドというメインストリートに出るのだが、この通り沿いの
商店街
ですら崩れかかったような店が多く、この饐えた雰囲気はほとんどハーレムかブロンクスか、といった趣ですらあり、気分的に引いてしまう。ただ、道行く人の表情は概して明るい。外国人旅行者が珍しいのか、とにかくじろじろ見られるが、目の動きで周囲に注意を向けても相手に分からないので、目線を隠せるサングラスはこんな時にも有り難い。
車の数
はとても多く、しかも、もはや何でもありの無秩序さ。大きな交差点でも信号がない。歩行者も、横断歩道がほとんどないためか、好きなところから車の側ぎりぎりを平然と歩き横断していく。この無秩序さはNYも形無しだろう。シーラーズで運転しようなどとは思わないほうが良い。ざっと周りを歩き、ついでに旅行の必需品である水を買ったのだが、1.5lを1本と0.5lを2本で5,000Rlsという安さには驚くばかり。
 ガイドブックにお勧めとあった、Sadra Hotelの食堂で定番料理の
チェロウ・モルグ
(鶏肉のローストとライスの盛り合わせ)にチャレンジ。ライスは山盛りで、しかも薄焼きのナーンまでつき、量の多さに唖然とする。鶏肉の質はいまいち。1日以上まともなものを食べていないので空腹だったのだが、それでも2/3ほどで十分満腹になってしまった。コーラもあわせて20,700Rls也。いくらだか換算してみてください… 12:00に部屋に戻り、一眠りする。


 15:30にタクシードライバーと待ち合わせ。Mortezaという人で、10年以上もガイドをやっているベテランでもあり、歴史や遊牧民のことなども含めいろいろと教えてくれる。

ペルセポリスへの道
は荒れ地の中にあり、荒涼とした風景が続く。途中、Marvdashtという小さな街を通りすぎるが、この饐えた雰囲気、ここには絶対に降りたくないという気にさせられる。街を過ぎてしばらく行くと、突然大型のバスが増え、さらに運転が荒くなる。『工場の終業時間で、街に帰るバスだよ』とのこと。


 16:30頃に、ナグシェ・ロスタムへ到着。ここは、ペルシアの古代王朝アケネメス朝の歴代の王の墓があるところで、山腹に刻まれた巨大な

レリーフ
で有名である。入場料30,000Rlsを支払って入場。4人の王の墓それぞれに精巧かつ勇壮なレリーフが刻まれていて、周囲の荒涼たる風景ともあいまって圧倒される。中でも、東ローマ皇帝を捕虜としたことを記念する
『騎馬戦勝図』
は見事。


 ナグシェ・ロスタムを後にして、17:00頃にペルセポリスへ到着。ペルセポリスは、約2,500年前にアケメネス朝ペルシアが建造した儀礼用の都で、その200年後にはアレクサンダー大王によって陥落、その後火事により廃虚となってしまったのだそうな。60,000Rlsを支払って入場すると、まずは馬に乗ったままでも上り下りが容易に行なえるようになっているという低い

階段
を登る。登りきると、両側に人面有翼獣身像を従えた
クセルクセス門
が出迎える。来訪者を圧倒する見事な演出だ。
 門を東にくぐると、儀丈兵の通路へ。奇妙な動物の彫刻が残っている。(
) 右に折れると
百柱の間
へ。100本の柱を持っていたという、ペルセポリス最大の広間で、周辺諸国からの使節との謁見などに使われていたそうな。いまは柱も崩れ、土台だけが残っているのが物悲しい。右手には、王が牡牛に短剣を突き刺す
レリーフ
があり、王の力強さを示している。
 百柱の間から左手に出ると、
アバダーナ
(謁見の間)へ。ここには、約20mの
が12本残っている。かつては、36本の柱が屋根を支えていたそうな。廃虚の中で、どこまでも青い空を突き刺すように立っている柱には、何ともいえない感傷をかきたてられる。アバダーナの東にある階段には、王に貢ぎ物を献上する各国の使者が
レリーフ
にされており、いろいろなものが描かれていて興味深い。2,500年前の人間もグローバルだったのだなぁ。
 アバダーナの近くに配置されている中央宮殿の入り口にある
レリーフ
も、王の権力を誇示するものだという。
 その他にも、
タチャル
(ダレイオス1世の宮殿)やハディーシュ(クセルクセス1世の宮殿)などにも壮麗な建物を偲ばせる柱などが残っていて、かつての栄光のすさまじさをいまに伝えている。恐らく、全盛時には各国の使節をここで出迎え、使節はアケメネス朝の力の強大さを実感させられたことだろう。夕暮れが近づき、赤く色づき始めた
廃虚
は何ともいえず感傷的。
周囲
には平野が開けているが人家はまばらで、スケールの大きな風景だ。機械や動力のない時代に、これだけの都を建設し、また破壊した人間のパワーに想いを馳せる。この時間に来て本当に良かった。
 観光客はほとんどがイラン人のようで、日本人が珍しいのか、ここでも何度も話し掛けられたり、若い女性のグループに遠巻きに騒がれたりした(^^; ただ、茨城から来たというおっさんがいた。


 名残惜しいが、18:20にペルセポリスを後にし、車に戻ると、Mortezaが近くの畑にある農業用水に連れていってくれ、そこでチャーイを一緒に飲む。流れる水の傍でチャーイを飲むのがイラン人の好みなのだそうな。チャーイは濃くいれた紅茶で、チャーイに浸した角砂糖を口に含みながら飲む。甘いが、疲れた体にはむしろ美味しい。水音は涼しげで、風も心地好く、なるほどこれはよい。その後、来た道を戻っていく。途中、荒野の山なみに沈む

夕陽
は圧倒的。以前、LAから戻る途中で味わった夕陽に匹敵する。
 Mortezaといろいろ話す。何でも、明日の午後はフィンランドから帰ってくる兄夫婦を迎えるためにテヘランまで車で行くそうな。って、テヘランまで約900kmあるんですが… これまでに案内した観光客の写真を見せてくれ、農業用水のところで撮った写真をぜひ送ってくれ、と頼まれる。運転中に彼の携帯が鳴り、10分ほど話していた。何と、婚約者なのだそうな。『俺は50歳で離婚歴があり、彼女は27歳で初婚。どう思う? 日本でもあるのか?』と訊ねられ、『頻繁にあることではないけど、有り得ないことではないし、2人が幸せならいいんじゃないの?』と答えておく。ほんと、イラン人の生活もいろいろあるのだなぁ。
 19:00頃にシーラーズに到着するが、街の玄関口にある
クルアーン門
に寄ってくれた。この門の上の小部屋にはクルアーン(コーラン)が置かれ、旅人の安全を見守ってくれているという。ライトアップされた門も美しいが、門の横にある高台からのシーラーズの夜景は素晴らしいの一言。しかし、私のカメラでは上手く撮ることが出来ない…
 さてホテルに戻ろうとすると、Mortezaが『夜のハーフェズ廟とシャー・チェラーグ廟も綺麗だがどうだ?』とのこと。昼に食べ過ぎて腹も空かないし、ここまでくれば毒を食らえば皿まで(?)で、1時間15,000Rlsで了解。20:30に再びホテルに来てもらうことにしていったん別れる。


 約束通りに待ち合わせ、

ハーフェズ廟
へ。ここは、イラン最大の詩人ハーフェズの眠る公園で、30,000Rlsを支払って入場。草花・木々と水が絶妙なバランスで配置されており、廟とは思えないほどに安らいだ明るい雰囲気だ。ライトアップされた公園はエキゾチックなのだが、これまた私のカメラではピントが上手く合わない… BGMとして流されているイランの音楽も雰囲気を高めていた。ごく普通のポピュラーミュージックらしいので、ぜひCDを買っていきたいところ。
 その後、
シャー・チェラーグ廟
へ。ここは、イスラーム教シーア派の聖人エマーム・レザーの弟であるシャー・チェラーグが眠る墓所で、シーア派の巡礼地でもある。履き物を預けて中に入ると、ありとあらゆる壁面が
鏡のモザイク
で装飾されておりまばゆいばかり。派手ではあるが、本当に美しい。残念ながら内部の写真撮影は禁止なので、目に焼き付ける。中心にシャー・チェラーグの棺があり、銀でつくられた柵で囲まれている。人々は柵に触れつつ一心に祈っている。その他、内部にはいくつも小部屋があり、ひたすら祈る人、何かを唱えている人、それぞれの強い思いが内部に反響しているようで圧倒される。昨年リトアニアで実感した内に秘めた強い思いとは対照的な、表に出る強い思いだ。外へ出ると、門から見える部分は撮影してもいいということなので、そこだけ撮影した。さらに、ライトアップされた外観を眺める。何ともいえずエキゾチックだが、あのカラフル電球は止めたほうが良いような気が。
 車に戻るとMortezaが『駐車違反でチケットを切られた。罰金10,000Rlsだってさ』と愚痴る。21:30を過ぎ、さすがに疲れたのでホテルに戻り、約束の15,000Rlsに罰金の半額の5,000Rlsをプラスして支払う。商売上手だが、良い仕事をするプロで、良いドライバーを手配出来たと思う。私の仕事もかくありたいものだ。
 Mortezaいわく、残った観光名所のうち、サァディー廟はハーフェズ廟と、エマームザーデイェ・アリー・エブネ・ハムゼ聖廟はシャー・チェラーグ廟と同じなので行く必要はないとのことで、シーラーズの見所は半分以上こなしてしまったことになる。1日ほど長く取りすぎたかと思うが、その分明日は余裕を持つことにしよう。溜まっている旅日記を途中まで書き、00:00に就寝。長い1日(以上か?)だった…
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