Shiraz

 シーラーズを発つ日なので、まずは荷造り。その後、まだ観ていない旧市街に行こうと思いホテルを出ると、昨日のタクシードライバーがまたもたむろしている。『今日の予定は? パサルガダエに行かないか?』などと声をかけてくるが、あまりタチの良さそうな感じでもないし、そもそも出発日に遠出をする気はないので断る。
 ザンドを左に折れ、

ショハダー広場
(『殉教者たち』の意)へ。ここに面して建っているのが
キャリーム・ハーン城塞
。ここを通り過ぎ、左へ折れると、
マスジェデ・ヴァキール
というマスジェド(イスラーム教の寺院)がある。タイル装飾が美しいのだが、あちこちひびが入っていて、建物自体もやや傾いている。そこを過ぎると
バーザーレ・ヴァキール
という市場にさしかかる。このあたりは衣料品が多いようだ。それにしても、何やら見つめてくるやつの多いこと。中には非友好的なやつもいるが、とにかく相手にしないようにするしかない。その代わり、ここでは絶対に買い物をしてやるものか、と心に決めた。
 アーマーディー通りを進んでいくと、再び
シャー・チェラーグ廟
へ出る。昼間は、濃淡のブルーのタイルに彩られたタイルが美しい。ぼーっとしていると、小さな男の子に声をかけられた。手招きをするので行ってみると、家族で座っているところに合流させられた。この子の姉とおぼしき女の子がえらくやんちゃで、すぐに懐いて頬を引っ張るわ帽子を取るわの大騒ぎ。ここまで来ても、子供にからかわれる運命にあるようで… お母さんがすまなそうな顔をしていた。
姉弟
の写真を撮って、デジカメのディスプレイで見せてあげるととても驚いていた。が、これがいけなかった… これを聞きつけた子供たち、いやむしろ『ガキども』が10人ほど寄ってきて、撮ってくれ見せてくれの大騒ぎ。皆元気そうで何より…というしかない。写真に撮られるのを嫌うという話だった女の子も何とかして写ろうとする。大人達も、止めるどころか一緒に入って写ろうとする始末。しかも、誰も英語を解さないので、何を言っているのかお互いにさっぱりである。とにかく、財布に注意して後ろに廻られないように
写真
を撮り続けるしかなかった…
 惨状を見かねたのか、英語使いの青年が私に声をかけて連れ出してくれた。が、彼が行ってしまうと、先ほどの『ガキども』のうちの
4人
がまた声をかけてくる。『ムーゼイェ』(博物館)と連呼するのでついていってみると(これがいけないのかもしれない)、一角にある目立たない博物館に案内してくれた。チケット代も彼らが払ってくれ、中の歴史的な展示物についていろいろ説明してくれた。もちろん、ペルシア語なのでさっぱりだが。イラン・イラク戦争の陣地ディオラマなんてものまであったが、中国製やイラン製の壷、短剣など、意外に美しくて興味深いものがたくさんあった。彼らなりのお礼のつもりだったのかもしれない。昔の日本にもいた元気な『ガキども』という感じで、こまっちゃくれた子供よりもむしろ好感が持てる。こちらを尊敬しているというよりは、友達扱いしていたのが気にならないでもないが。
 お昼近くになり暑くなってきたので、『ガキども』と別れ、いったんホテルへ戻る。昨夜食べ過ぎたので、昼食はホテルのカフェでコーヒーとケーキだけにする。10,000Rls也。


 13:00にチェックアウトし、荷物をホテルに預けて、再び旧市街へ。ちょうどお昼の祈りの時間のようで、アザーンの響きが美しい。バーザーレ・ヴァキールの外側をなぞり、シーラーズ最古のマスジェドというマスジェデ・ジャーメ(『金曜の寺院』の意)へ。保存状態が悪く、タイルの色も落ちてしまっているのが残念。さらに進むと、土色の低層住宅が迷路のような

街並み
を構成している。誰も通りかからず、どこまでも静か。強い陽射しとあいまって、不思議な非現実感がある。この迷宮の壁のところどころに照明を置くと、プラハの旧市街のような妖しげな街になる…かなぁ。何とか
バーザール
のアーケードに入ると、ほとんどの店がお昼休みで店を閉めていた。煉瓦造りの壁や天井が良く見える。夕方まで営業を再開しないようなので、ほとんどの見所を観てしまったことでもあるし、思い切ってホテルに戻って夜のピックアップを待つことにする。午前中や夜にはあれほどひどかった交通渋滞も、この時間はむしろがらがら。
 ロビーやカフェで本を読んだり居眠りしたりしながら時を過ごす。やはり、1日多く取り過ぎてしまったのかもしれないが、こういう時間も悪くない。もちろん、時々客やホテルの従業員が寄ってきて話そうとする。さすがに慣れてきた。イランの人は概して人懐っこいようだ。話してみるととても正直で、あまり計算高いという感じはしない。日本のことも大好きなようだ。ただ、国際情勢の話となると、私たちとは異なった意見を持っている。ここについては深入りしないように避けておく。
 19:00にホテルのレストランが開いたので、挽肉のキャバーブ(串焼き)とチャーイで夕食とする。脂が乗っていて、塩味も利いていて美味。ナーンもついて、サービス料15%込みで29,000Rls也。


 20:45にピックアップ。空港への道中、エージェントのおばさんがシーラーズの印象についていろいろ訊ねてくるので答えていく。かなりいい過ごし方を出来ているようだ。夜も遅いのだが、公園やインターチェンジの空き地の芝生(!)など、あちこちで家族連れやグループがシートを敷いて談笑している。夜のピクニックが大好きなのだそうな。ただ、黒いチャードルをまとっていきなり車道を横断するのだけは止めて頂きたい。近づくまで全く見えない。
 空港に着き、テヘラン行きIR224のチェックインカウンターを探すが、まだ開いていないとのこと。何でも、この便はブーシェフル発テヘラン行きの途中立ち寄りで、しばしば遅れるとのこと。シーラーズからイスファハーンへ行くにはこの便しかないのだが、いかにも観光客が使いそうなフライトだし、もっと便数を増やしても良いのでは。
 道中でイラン音楽について話していたので、空港内のCDショップでお勧めアルバムを教えてくれた。30,000Rls也。帰国後に聞くのが楽しみ。ついでに、アザーンを録音したいので時間を訊くと、日の出前・13:00・19:30頃の3回とのこと。『5回じゃないんですか?』と訊いたところ『それはスンニー派。シーア派は2回を1回にまとめているの』という答えだった。
 21:30にカウンターが開いたのでチェックインし、エージェントのおばさんと別れてボディチェックを受け、待ち合わせへ。ここでも、シーラーズ大学の教授というおっさんに話し掛けられる。話し方が講義をしているような面白いおっさんだった。
 22:15にボーディング。機内に入ってみると、経由便だけに既に7割方埋まっている。床に新聞紙が散乱しているわ香辛料の匂いがするわで、もはや飛行機とはとても思えない。座席指定がなく好きなところに座れということだったので適当に座ると、ここでも注目を集める。疲れる。ところで、スチュワーデスが2人乗っていたのだが、どちらもかなりの美人。チャードルで顔と手(腕は見えない)以外が隠れてしまっているのが残念ではあるが、一方ではこのチャードルが女性の美しさに対する思いを掻き立てるような要素もあるなぁ…などと考えられるようになっているあたり、私もイスラームの奥深さに触れつつあるのかもしれない。
 定刻より20分遅れの22:30に離陸。イスファハーンも経由地なので、寝過ごすとテヘランに行ってしまうので、眠くはあったが何とか起きていようと努力をする。と、1時間10分のフライトにもかかわらず軽食が出た。ただし、着陸までゴミ回収をせず、テーブルを元に戻すためにゴミを床に捨てざるを得なかった。おそるべし、イラン航空。これでマイレージさえあれば…
 23:45にイスファハーン空港に着陸。(エスファハーンEsfahanと表記されることも多い。ここでは、航空券の表記と空港の略字に従い、イスファハーンIsfahanと表記する。)ここでエージェントと合流し、いつもの通り荷物を受け取ってホテルへ。00:00過ぎに"Ali Qapu Hotel"へ到着し、パスポートを預けてチェックイン。日曜のピックアップを打ち合わせて103号室へ。この部屋も広くてよい。
 TVをつけるとCNNはSep. 11th memorial特集だけを流していた。昨年の今頃は、私もTVから流れる映像に釘付けになっていたことを思い出す。あれから1年後に、まさかイランで国内線に乗っているとは当時は思いも寄らなかったことだ。他のチャンネルに回すと別の番組を放送している。少なくともここイランでは『世界的大事件』という扱いではないようだ。


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