08:00に起床。今日は金曜日、イスラーム教徒の安息日で、礼拝が行われるため午前中はエマーム広場にも入れない。TVをつけると、予想通りクルアーンを朗読する番組を放送していた。髭を剃ろうとすると(イランでは髭を生やしていない男性も多い。印象では、比較的upper classの人は髭を生やしていないようだ。)顔が粉を吹いたようになっている。日焼けの跡らしい。強力な日焼け止めを塗ってはいるが、それでも完全には防ぎ切れないようだ。
イスファハーンのもう一つの見どころである、ザーヤンデ川に架かる橋を見に行くことにした。ホテル前のチャハール・バーグ大通りを南に5分も歩くとエンゲラーベ・エスラーミー広場(革命にちなんだ同じような名前を、あらゆる街の通りや公園につけてしまう、というあたりが革命国家らしいところ。)に着く。ここに架かっているのが、
である。『スィー・オ・セ』とは33の意で、33のアーチに支えられていることから名づけられている。イスファハーンの大通りであるチャハール・バーグを結んでいるにもかかわらず自動車は進入禁止で、ゆったりと橋の上を歩くことが出来る。ザーヤンデ川の流れが奏でる水音が涼しい。川のほとりや川の中で遊んでいる人も多い。
スィー・オ・セ橋を後にしつつ、公園のようになっているザーヤンデ川沿いを歩いていく。何処の国でも、街中の川を大切にしているのだが、振り返って東京は… ここで、またも例によって英語を話す青年に声をかけられた。Aliという名前で、いわく『前は英語を流暢に話せたんだけど、2年前に事故に遭ってほとんど忘れてしまったんだ…』どこまで本当やら分からないが、誠実そうなやつなので一緒に散歩することにした。高々と吹き上がるが虹をつくっていて美しい。
約1kmほど歩くとチュービー橋に着く。小さな歩行者用の橋だが、ガイドブックによればこの橋の下にチャーイハーネがあるとのことで楽しみにしていた。が、残念ながら門は閉じられていた。
さらに500mほど歩くとへ。1666年に完成した橋で、アーチが力強くも優雅な美しさだ。二層構造になっており、上部では王が夏の夜に宴会を開いたそうな。また、橋のたもとにはライオンの像があり、これにまたがると結婚できるそうな。えぇ、とりあえずまたがってみましたとも。下部の水門のようになっているところから流れ出る水の音が心地好い。
Aliと一緒に道を引き返す。途中、ホメイニー師の看板があり、何となく見ていると『彼が誰だか知ってるかい?』という。『ホメイニー師だろ?』というと、声を潜めて一言、『あいつは悪いやつさ』といった。理由を聞くと『女の子の服装も制限されたし、女の子と一緒に歩くと警察に引っ張られるし…』正直なやつだ。家族の話をすると、『僕の家族は6年前に飛行機の事故で皆死んでしまったんだ…』とのこと。しきりに寂しがるので、メイルを交換する約束をした。
昼近くになり、さすがに疲れてきたのでチャーイハーネに誘うと『僕はチャーイは飲まない。コーヒーが好きだ』とのこと。その代わりに『一緒にアイスクリームをどう?』というので、近くのアイスクリーム店へ。ココナッツのアイスクリームを注文したが、これまた濃厚で美味しかった。量も多かったが… 代金を払おうとすると『話せて楽しかったから僕に払わせてくれ』というので好意に甘えることにする。サンドイッチを買ってホテルで小休止することにしたので、近くのサンドイッチ店でチキンのホットドッグを買い、ホテルの前でAliと別れた。『記念に』ということでサングラスをくれたが、こちらには何もあげるものがない。とりあえずハンドタオルをあげた。ホットドッグを食べ、昼寝。極楽である。
15:30に外出。まだ日も高く、街も静まり返っている。まだ観ていないいくつかの観光ポイントを廻ることにし、まずは
へ。1647年に建てられた宮殿で、建物を支える20本の柱が水面に映って40本に見えるところから『40本の柱』を意味する名前がつけられたそうな。イスファハーンには珍しく、なかなか渋い外観で落ち着く。中は小さな博物館になっており、戦いや宴の様子を描いたは美しい。何となく、中国の絵から影響を受けているような気がする。
エマーム広場へ行き、アーリー・ガープー宮殿へ。7階建ての高層建築で、バルコニーからはを一望できる。夕方で日を背にしているため、写真も撮りやすい。ここでも、とっぽい兄ちゃんと真面目そうな兄ちゃんの2人組みに声をかけられた。テヘランから来た旅行者とのことで、とっぽいほうはYosephという名前だそうな。英語ともフランス語ともペルシア語ともつかない言葉でまくしたてるYosephと、それを必死にフォローしようとする真面目なほう(最後まで名乗らなかった)というコンビだ。真面目なほうはビデオカメラを持っており、Yosephと一緒に映ってくれということで、バルコニーを一周させられたり、ほとんどタレントみたいな扱いをされた。
アーリー・ガープー宮殿の最上階は、かつて王族が音楽を楽しんだという部屋になっている。反響を良くするための素材が楽器の形にくりぬかれており、実用と装飾とを兼ねている。
面白いやつらなので、宮殿を出てアーケードを一緒に散策。ほとんどの店が閉まっているが、開いている店ではYosephが何やらいたずらをする。ここで、日本人のツーリストグループに出会った。『一人旅してます』というとかなり驚かれた。Yosephが寄せ木細工で装飾されたペンとペン立て、さらに(なぜか)縦笛を買ってくれた。一目で安物と分かるが、くれるという気持ちは嬉しいものだ。こちらにあげるものがないのが残念だ。一緒にマスジェドに入ろうとしたのだが、私が外国人ということで係員に断られた。広場を一周したところで2人と別れる。
夕暮れのエマーム広場をもう一度味わいたくなったので、小休止と時間潰しを兼ねてAladdinへ。Aliがいて、チャーイをご馳走してくれる。Aliは2年ほど足立区に住んでいたことがあるとかで、絨緞の輸出が本業で、この店はショウルームのようなものらしい。ところで、この並びにやはりNOMADという絨緞屋が看板を出していたので事情を聞いてみると『前はそこにあったんだけど、その後に広場の外れにあるいまのNOMADに移転したんだ。Mohanmadと一緒にビジネスをしていたのだけど、別々にやってみようということになって、4ヶ月前にこの店を開いたんだ』とのこと。『カードが使えればビジネスが広がるのに残念だね』というと『全くだ。でも、お金がなければ、気に入ったものを持って帰って、帰国後に日本からドルを送ってくれても良いよ』とのこと。それで大丈夫なのかなぁ。
夕暮れが近づいたのでAladdinを出て、噴水の前で
の眺めを楽しむ。ライトアップを始めたも美しい。ここで声をかけてきた学生に、昨日から気になっていたことを訊くことにした。『ガイドブックにはマイダーネ・エマーム(エマーム広場)と書いてあるのだけど、その名前を言うと皆一瞬嫌な顔をするね。何と呼ぶのがいいの?』というと、『マイダーネ・エマームは政府の決めた名前なのだけど、ここに相応しいとはいえないと思う。一番相応しい名前はナグシェ・ジャハーン(『世界の図』の意)かな。ここには、世界中からリソースが集まっているから』ということなので、今後私もナグシェ・ジャハーンと呼ぶことにしよう。
19:30を過ぎアザーンが始まった。終わって歩き出すとガキどもが集まってくる。何やら笛を吹くので聞いてあげると"Money"の連呼。可愛気のないガキどもだ。無視してもどこまでもついてくるので、NOMADに入ってやり過ごす。チャーイを1杯ご馳走になっていると、『インターネットを使うかい?』という。シーラーズでもそうだったが、大きなホテルにはインターネットコーナーがあるし、街中にもネットカフェがあるので、有料で使うことが出来る。もちろん、NOMADで使えば無料なのだが、旅行中はネットから隔絶されていたいので、辞退する。チャーイハーネもいいけど、AladdinやNOMADでも十分に寛げる。閉じられた空間で、甘い物を口にしつつ薫り高いチャーイをすするということが時間を忘れさせてくれるようだ。NOMADではRestroomも使わせてくれる。Western styleもあるのが有り難い。(イランでは、Restroomはほとんどが床に穴が空いているだけ。紙もなく、横に設置された蛇口とホースが何をどうすべきかを雄弁に語る。)
当初の予定では、ライトアップされた橋を見に行くつもりだったのだが、空腹だし疲れてきたので諦め、ホテル近くにありガイドブックにも出ているレストラン"Shahrzad"にて夕食を摂ることにする。洒落た内装ではあるが気さくな入りやすい雰囲気で良い店だ。イスファハーン名物と聞いていたBeryaniにしようと思ったのだが、既に売り切れてしまったとのことで、お勧めの
にした。黒く煮込まれた鶏肉が運ばれてきて、てっきりスパイシーなのかと思い口に入れると、予想に反してクルミの甘さ。そういえばメニューにもWalnutとあったし、ガイドブックにも『甘い肉料理』とあったっけ。でも、慣れるとけっこう美味しい。チェロウもふっくらとしていて、良い食事だった。スープ・オレンジジュース・チャーイをつけて27,900Rls也。(たいていの場合サービス料が加算されているので、チップの必要はない。)
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