イスファハーン滞在の最終日。07:30に起床し、朝のナグシェ・ジャハーンを味わうために早めに外出する。まずは、これまで何度も通りかかりながらまだ観ていなかった
へ。公園の木立の中にこじんまりと佇んでおり、涼しげだ。宮殿の中には入れないので、外から眺めるだけ。
ナグシェ・ジャハーンを目指していると、日本語を使うくだけた兄ちゃんに声をかけられた。何でも、イランの物産品をトルコに輸出する仕事をしているとかで、10:00まで時間があるので、カネは要らないから日本語の練習のためにナグシェ・ジャハーンを案内させてくれという。そんな上手い話があるのかいな、と思いつつ乗ってみる。『ガイドブックにはマスジェデ・エマームの建設に16年(実際は26年とあるが)かかったと書いてあるが、実際は55年かかっている』とか『マスジェデの装飾には絶対に赤とオレンジは使わない。なぜか分かる? マスジェデは落ち着くための場所だから、血や争いを連想させる色は使わないことにしているのさ』といったことを、聞きようによっては怪しげなくだけた日本語でしゃべりまくる。そのうち、『イスファハーンでは何も買わないの? 俺は店とは何の関係もないけど、良い店を教えてやる』というので、来たなと思いつつ案内をしてもらう。ガラム・カールを手作りしている店と、自作の細密画を売っている店を案内してもらったが、私の目で見る限りではHassanの案内してくれた店のほうが良い物を扱っていたように思った。細密画の店主は、名刺の裏に即興で女性画を書いてくれたので、買い物をしない(というより出来ない^^;)のが少々申し訳なくなったが… ちなみにNOMADについて話を振ると『あいつらは汚い。まず親切にして、洗脳してから物を売って、売った後は知らん顔さ』とのこと。確かにそういう見方も成立する。私もそうだが、親切心にほだされるということもあるし。ただ、少なくとも私は買い物をした後も一休みのために寄らせてもらったりしていることもあり、必ずしも彼の見方に全面的に与するものではない。こやつの手口のほうがむしろ露骨だし。
彼と別れ、マスジェデ・ジャーメを目指してバーザールを歩いていく。バーザールの
にはしっかりホメイニー師の肖像画が掲げられている。薄暗い、迷路のようなの両側に並ぶ商店が所狭しと商品を積み上げ、妖しげないい雰囲気。どこからか漂うの匂いもエキゾチック。『歩く』というよりはむしろ『漂う』といった感覚だ。屋根のある大通りに沿って進み、所々にある分岐では右を選んでいく。
20分も歩くと出口となり、大きな通りに出た。大通りを右に折れ、ギヤーム広場を左に折れる。目指すマスジェデ・ジャーメはすぐ近くのはずだが、メナーレ(塔)は見えるものの、一向に入り口が見当たらない。ガイドブックの地図は簡単に書いてあるが、実際はバーザーレと住宅の入り交じった路地の多い一角で、何度も迷う。諦めてナグシェ・ジャハーンへ戻ろうとすると、唐突に"Ticket Please"の看板を見つけた。30,000Rlsを支払い、無事に入ることが出来た。
マスジェデ・ジャーメはイスファハーンでも最も古いマスジェドだそうな。入り口から左手の回廊に入ると、石造りの重厚な柱が構成するアーチが連続する
に迷い込む。他に誰もおらず、外のざわめきも入ってこず、自分の足音が反響するほどの静けさ。不思議な気分だ。回廊を抜けると、四方をエイヴァーンに囲まれた中庭に出た、シンプルなものから豪華なものまで、タイル装飾が実に見事。特に、南に位置するは豪華。
ガイドブックには、の横の扉の小部屋の中を見せてもらうべしとあるが、鍵がかかっていたのでいったん諦める。と、鍵を持った兄ちゃんが近づいてきて開けてくれるというので入ることが出来た。中には、5つの書体でクルアーンを彫り込んだメフラーブ(メッカの方角を示す一角)があった。(・)600年前のもので、実に繊細なレリーフだ。(アラビア文字にはいくつも書体があり、書体によって文字の形が全く異なって見えてしまう。つくづくすごい文字だ。)一通り見せてもらい、写真も撮らせてもらったところでしっかり謝礼として20,000Rlsを要求されるが、それに値する素晴らしいものだった。
マスジェデの右手にあるバーザールをナグシェ・ジャハーン目指して戻る。先ほどの大通りでいったん途切れるので、そこを横断すると、先ほど出てきた出口が見えた。大通りに出たところで右に折れたりせず、そのまま横断してしまえば良かったようだ。ひたすら歩いていると、昨夜会ったガキどもと鉢合わせてしまい、延々とついてくる。サッカーをしようということらしい。そんな気も時間もないので何度も断るが、通じないのかはたまた分からないふりをしているのか、とうとう出口までついてきた。どうにも困ったので、またもAladdinに逃げ込んでやり過ごす。
一休みさせてもらったところで、隣の菓子店でオフィスなどへのお土産とするギャズの箱詰めを買う。4箱で計68,000Rls也。手持ちのリアルが残り75,000Rlsとなるが、後は食事代だけなので心配ないだろう。下手に残しても、再両替も国外持ち出しも難しいらしい。昼を過ぎ暑くなってきたので、ホテル近くのサンドイッチ店でハンバーガーを4,600Rlsで調達し部屋で一休み。
17:30に再度外出。イスファハーンでの最後の夕暮れは、どうしてもナグシェ・ジャハーンで味わいたい。ナグシェ・ジャハーンをうろついていると、またも英語使いに声をかけられた。バーザーレの門の横にあるチャーイハーネでチャーイでも…というので一緒に行くことにする。最初はコンピューターを専攻する学生とのことだったのだが、昼間の仕事として絨緞の修理をやっていて、安い絨緞屋を知っているから案内させてくれ、とのこと。こいつもかよ…と思いつつ、おごりのチャーイを飲む。このチャーイハーネはアーケードの2階を使っており、
を一望できる。その雄大さに改めて感動。素晴らしいの一言。
絨緞なんか買う気もカネもないけど、一応話だけは聞いてみても面白いか、と思い案内してもらう。バーザールの地下にある、遊牧民(NOMAD)が作った絨緞屋に案内された。ペルシア絨緞には都会で作るものと遊牧民が作るものの2種類があり、遊牧民の作るものはデザインがなくその時々のイマジネーションや伝統の絵柄を使う。決して豪華ではないが素朴な味わいがある。また、遊牧民は商売のためではなく自分達の生活習慣のために絨緞を作るので、手に入れるには遊牧民のところに行って偶々絨緞を売りたいと思っている人と交渉する必要があるため希少価値があるうえ、遊牧民のつける価格はとても安いので、都会ものよりもお土産に適しているとの売り文句だった。『見るだけで良いよ』といっていたくせに、いざここに連れてくるとかなり強引な売り込みをする。『カネがない』といえば『気に入ったものを持って帰って、日本から送金してくれればいいよ』(これはイスファハーンで良くあるビジネススタイルのようだ)というし、『大きくて重そうだ』といえば『キリム(ラクダの毛を編んだもの)なら軽いよ』という。『とにかく今回は買う気はない』と断言し、店を後にして別れた。
時刻は19:00をまわり、夕暮れに赤く染まっていたナグシェ・ジャハーンが、徐々に空の濃紺とライトアップに染められていく。あまりにも美しい。19:30にはアザーンが始まる。夜の闇に浮かび上がるは何度見ても飽きない。何ともいえずエキゾチックだ…が、広場を走るオートバイのエンジン音だけは邪魔だ。しばし立ち尽くし、この美しさを心に焼き付ける。本当に来て良かった。再びここに立つことがあるだろうか?
アザーンが終わり夜となる。はとてもいい雰囲気。明日の出発も早いのでホテルに戻ろうとすると、初日に会ったおっさんに会ってしまった。仕方ないのでチャーイだけご馳走になることにし、彼の事務所へ。ここでは、都会ものの絨緞をいろいろ広げられる。さりげなく値段を聞いてみるとAladdinとほぼ同じだった。ぼられたというわけでもないようだ。『今回は買う気はない』というとあっさり引き下がった。実は悪いやつではなかったのかもしれない。
彼と別れ、Aladdinに立ち寄り、AliとHassanに最後の挨拶をする。旅の無事を祈ってくれたので、私は彼らのビジネスの成功を祈る。その後にNOMADに立ち寄り、Mohanmadはいなかったが他のスタッフに挨拶をする。トルコから来たというとっぽい感じのスタッフは『日本にアフガン人を10人ほど輸出したからコンピューター代わりに使うと良いよ。パン1個で死ぬまで働くから』などときわどいジョークを飛ばす。ちなみにこのジョーク、これまでも何回か聞いており、イラン人のお気に入りのようだ。最後にもう一度だけ、噴水の正面にまわりを眺める。
昨日と同様、"Sahrzad"で夕食。今回は、Green Rice w/ Natural Lambというメニューにした。子羊の骨付き肉をトマトやスパイスで煮込み、菜っ葉の混ぜ御飯を添えたもので、良く煮込まれて柔らかく、ややスパイシーで美味しかった。チャーイを付けて24,750Rls也。
明日は、07:55発のIR236にて、イランでの最後の滞在地となる首都テヘランへ向かう。これまでに会った人にテヘランの印象を訊くと皆『テヘランはクレイジーだ。騒がしいし、人も車も多いし、空気は汚れてるし』だそうな。見どころも博物館か郊外の宮殿くらいしかなさそうだし、翌日のテヘラン発イスタンブール行きのTK1277の出発時刻が05:15というとんでもない時間なので、いっそホテルで休んでいようかとも思う。
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