07:45に起床。眠くはあるが、時差ボケを治すためには早く起きて動き回ることが最も良い。朝食つきなので久々に暖かいもの(何という料理なのかは良く分からないし、また知りたくなるほどでもない)を腹に収め外出。ところでこの
、『地球の歩き方』にはモスクワ・ホテルとして紹介されている。以前はその名前だったのだが、ウクライナ・ホテルに名前を変えたらしい。そして、以前には別のホテルがウクライナ・ホテルを名乗っていたことが話をややこしくしている。しかし、これくらいはアップデートして頂きたいものである。ホテル内の両替所で$75を399フリブナ(以下hr.)に替えた。
下り坂を降りるとネザレージュノスティ(『独立』の意。)広場。キエフの中心ともいうべき広場である。広場の中心にはの像を載せた高い柱が建ち、ホテル側にはガラス張りのモダンな建物(高級品店のショッピングセンターだった)、大通りを挟んだは伝統的な造りの建物に囲まれている。モニュメントや建物が真新しく、写真やテレビなどで観た印象とはかなり違っていて驚き。広場を横切って走る広い通りは。一見歴史的な建物が続くが、大部分は戦後に再建されたものらしい。(これはキエフの大部分の建造物に当てはまるらしい。)とにかく歩道が広く歩きやすい。車が歩道の中に入ってきて駐車をするが、全く支障がないほど。通りにあるバスチケット売り場で2回分のバスチケットを計1hrで購入し、20番のバスに乗って町外れにあるペチェルースカ大修道院へ向かう。20分ほどで終点にある修道院へ着いた。
ペチェルースカ大修道院は、11世紀の2人のキリスト教僧侶がドニエプル川沿いの洞窟(ペチェーラ)で修道生活を送ったことが発祥らしい。多くの教会や地下墳墓を持つ、世界遺産にも登録されたところだ。『地球の歩き方』には入場料が(写真撮影をする場合は撮影料も)必要、とあるのだけど、チケット売り場(KACCA)が閉まっていたのでそのまま入ってしまった。玄関に当たるのは聖三位一体教会。ここだけは12世紀の様式を保っているらしい。ももフレスコ画でびっしり。中へ進んでいくと、正面に構えているのが。最近になって再建されたものらしく、白壁やの金の飾りが陽光に眩しいほど。大聖堂のやや右手奥には、高さ96mというが建っている。大鐘楼の前はちょっとした木立になっていて日陰が心地好さそうなのだが、どうも栗が植えられているらしく、風が吹くたびに実がぼとぼとと落ちてくる。しかも、日本の倍くらいの大きさのものが、当然ながら棘つきで。怖くて近寄れない。大聖堂の右手には、19世紀後半に建てられたという。このドームの中はフレスコで覆われていて、中でも人物が見下ろしてくるに圧倒される。大聖堂の左手には。この中にも、キリストが見下ろしている天井画があるらしいのだが、残念ながら中に入れず。
トラペズナ教会の横を抜け、坂道を降りていくと、また別のエリアに出る。このエリアには2つの地下墓地があり、それぞれ『近い洞窟』『遠い洞窟』と呼ばれているらしい。『遠い洞窟』のほうに入ってみることにした。入場料はかからないが、照明がほとんどないとのことなので、蝋燭を1hrで買う。現地の巡礼者の団体にまぎれてついていくことにした。ロシア語?の説明はさっぱりだが、燭台のない蝋燭の持ち方(掌を上にして人差し指と中指の間に挟む)も分かったし、意外に道が枝分かれしているので助かる。通路は所々に置かれた燭台に蝋燭が燃えている以外は全く証明もなく真っ暗。そして、狭い通路の両側に棺桶が置かれ、布で包まれたミイラ化した遺体がたくさん。正直、独りで来たらかなり怖い。しかし、巡礼者は全く別の思いを持っているようで、棺のガラスに何度も接吻している。うーむ。30分くらい歩き回ると教会の中に設けられた出口に出て、ちょっとした地下迷宮探検が終わった。近くの展望台からはドニエプル川を望める。は近代的・画一的な建物が果てしなく続いている。緑が多いのがかえって人工的・不自然な印象を与える。
ちょうどお昼時なので、『地球の歩き方』に出ている、この近くにあるというレストラン『ツアールスコエ・セロ』を探す。修道院の前の道を左に5分ほど歩くと、それらしい感じの民家風の
を発見。中に入り、食前の野菜ジュース・サラダ・スープ・メイン・ソフトドリンク(いずれも3種からチョイス)がセットになったビジネスランチを注文。は昔のウクライナの民家や村を再現したもののようで、牛車や水車のミニチュアまである。もウクライナの民族衣装を着ており、あまりにも可愛いので写真を撮らせて頂いた。(それにしても人物写真は難しい。いい表情を撮れないものである。)ビジネスランチはかなりの量で、サラダも山のように出てきたので、半分くらい残すことにした。スープとして選んだは、ハンガリーのグアーシュに似てコクがあり美味。全部平らげてしまった。メインのチキンカツレツが大きかったら食いきれないなぁ…と思っていたが、こちらは薄く作ってありそれほどの量ではないので助かった。食後にコーヒーをもらい、締めて60hr也。(チップ6hrを含む;本来はウクライナではチップは不要だが、写真を取らせてもらったお礼である。)ウクライナ料理は美味しいのだけど、どれもどっしりとしており、これを1日に2回食べるのはけっこうつらい。
修道院前の道をさらにいくと、突然高射砲や戦車を展示した広い公園に出る。第二次大戦を記念したものらしい。中でも、銀色に輝く巨大な
が印象的。左手に掲げる楯にはソヴィエトの紋章が刻まれている。修道院の近くにあるだけに、その対比が印象的。これもキエフの歴史である。陽射しがだんだん強くなり汗ばむほど。上着を着ているのが苦痛となってきた。
再び20番のバスに乗り、フレシチャーティク通りへ戻る。ここから西へ歩き、市外の見所を廻ることにする。キエフの町は坂が多く、歩くと意外に疲れるに出たところでいったん左へ曲がり、を目指す。この門は、キエフ中興の祖・ヤロスラフ賢公によって11世紀に築かれたもので、その後モンゴル軍によって破壊された。何よりも、ムソルグスキーの名曲『展覧会の絵』の最終楽章『キエフの大きな門』がこの門とされているので、ぜひとも観たかったのだ。思ったよりも小さな門であるが、あの旋律が脳裏に流れる。至福である。
ウラジーミル通りを戻り、ソフィア大聖堂を目指す。11世紀に創建されたキエフ最古の教会だが、大部分は17世紀頃にウクライナ風バロック様式で立て直されたらしい。あまり装飾性はないが、質実剛健な印象を与えるである。小さな屋根の連続が変化を与え、見飽きない不思議な建物だ。ところが、周囲に木が茂っており、アングル決定が実に難しい。当然、ここでも栗がぼとぼと落ちてくるわけで… 11hrを支払って中に入る。内部はフレスコやモザイクで覆われており、中には11世紀のオリジナルもあるそうな。ここでも、天井からキリストが見下ろしている。キリスト教を広める上ではこの分かり易さは有益かもしれない。内部は写真撮影で、あちこちにおばさんがいて見張っているのだが、目を掠めて撮ってみた。もっとも、しっかりばれていて注意されたが… 隣には、これまたが建っている。
ウラジーミル通りをさらに進むと、突き当たりにあるのが。青い外観が印象的だ。内部も青を貴重としており、最近になって再建(あるいは修復)されたのか、真新しいもののように思える。
さらに通りを進み(このあたりから、『地球の歩き方』の地図が当てにならなくなっている。)、へ。18世紀に建てられた教会で、イタリア人の手になるものらしく、何ともエレガント。の優美さは他にないものだ。この教会の左手には、丘の下に下りていくがある。ここには、露天の土産物屋がたくさん出ている。この手の露天ではあまり買い物をしない主義なのだが、キエフにはしっかりした土産物屋が見当たらないので、ここで買うのも止むを得ないかもしれない。建物の多くが改修・建替えの工事中で、埃っぽかった。
坂を下りきると、キエフのダウンタウンに当たるポディール地区である。ここまで来ると、ユーラスツアーズの地図だけが頼り。何とか地下鉄の駅を見つけることが出来たが、これがなかったら完全に道に迷うところだった。キエフの地下鉄は1個0.5hr(50コペイカ)のプラスチック製ジェトンを買い入場時にジェトンを入れて改札する方式。駅の内装もモスクワそっくりである。かなりのスピードで走り、一駅でマイダン・ネザレージュノスティ駅に着く。ドアの開閉も、ガシャン!という音がするくらいの凄まじいもので、手を挟まれたりしたらただではすまないだろう。この駅の上りのエスカレーターがものすごく、写真を撮るわけにもいかないので時間を計ってみたところ、日本の倍くらいのスピードで動くのに2分半ほど乗っていた。
ネザレージュノスティ広場で一休み。時刻は17:00, 徐々に日も傾いてきて、若者を中心に遊んでいる人が増えてきた。ビールを飲んでいる連中には絶対に近づかないようにする。広場に面した建物が気温を表示してくれる。何と26℃! 寒さを覚悟してきたというのに… ま、曇りで寒いよりはどれほどましなことか。
私の旅のスタイルとして、暗くなる前にホテルに戻ることを信条としているので、軽い夕食を摂れそうな店をフレシチャーティク通り沿いで探すが、酒を出すカフェばかりでいっこうに見つからない。仕方なく、やや重いかとは思ったが、小奇麗なイタリアンに入り、ニョッキとデザートで夕食。どちらも味・量ともにまぁまぁで満足。水・紅茶を含め、計71hr也。19:00過ぎにホテルに戻る。天気予報によれば、明日も快晴、予想最高気温は26℃だそうな。しかし、夜になって冷え込んできたので、念のため毛布を全てかけて寝る。
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