08:00に起床。快適に眠れた。身支度と平行してチェックアウトの準備をする。08:30に朝食が届いた。このホテルでは、朝食が各部屋に届けられる形式で、昨夜のうちに食べたい時間と一部のメニュー(ジュースやヨーグルトの種類など)を指定しておいた。機内食のような感じだが悪くはない。食べ終わって引き続き支度を整え、09:45にチェックアウト。併せて、夕方まで荷物の預かりを依頼する。フロントスタッフも流暢な英語を話す上に丁寧に対応してくれ、去るのが惜しいようないいホテルだった。08/25の宿泊もここを取りたかったなぁ。(満員で断られた。)
まずは、本日の懸案であるウラジーミル行きの列車の件を考えるため、クールスク駅へ向かうことにする。気温は約20℃、天気は雲ひとつない快晴、快適だが歩いていると汗ばんでくる。念のために日焼け止めを塗っておいてよかった。途中、
の横を通り過ぎた。改装工事が行われている。
プロシャーチ・レボリューツィ駅から地下鉄3号線でクールスク駅に出るはずだ。確か、プロシャーチ・レボリューツィ駅はアホートヌィ・リャト駅とつながっているはずと考え、マネージ広場地下のアホートヌィ・リャト駅に行ってみるが、プロシャーチ・レボリューツィ駅への案内掲示はない。とりあえず、KACCAで5回乗車券を買っておく。以前はジェトンというコインだったが、磁気カードになっている。5回分60Pと随分高くなっているが、それでも東京メトロよりはずっと安い。で、駅員と思しきおばさんに、拙いロシア語でプロシャーチ・レボリューツィ駅の場所を尋ねると、わざわざそこらに捨ててあった1回券の裏を使って簡単な地図を描いてくれた。レストラン・ゴドゥノフ近くの入り口に行けばいいらしい。そこの入り口から入ると確かにプロシャーチ・レボリューツィ駅とある。やれやれ。わざわざ回り道せずに、ホテルからペトロフカ通りに出て、そのままボリショイ劇場横の地下道をくぐれば、すぐにこの入り口に出られたのだ。
2年前のモスクワ滞在では地下鉄を使わなかったので、実に7年ぶりとなる。深いエスカレーターも、駅の革命的な装飾も、ロシア語しかない案内表記も、ぼろい車輌も相変わらずだ。何となく嬉しくなる。変わったのは改札で、コインを入れてバーを押す方式だったのが、カードを挿入して入る形式になっている。複数回使えるカードの場合、(日本のような出口側ではなく)挿入口の近くから出てくるのは要注意。1駅でクールスク駅に到着。地上に出れば、隣が長距離列車用のだ。いかにも社会主義な造りだが、掃除だけは行き届いているのか、床にごみが散らばっているわけでもなく、ちょっと安心。予想通り、この駅の中も見事なまでにロシア語のみだった。まったく、世界にはロシア語以外の言葉は存在しないとさえ思えてくる。駅のらしきものをみつけるが、これで何をどう理解しろというのだろうか。それでも、出発便のを見つけ、乗車予定のウラジミール行きエクスプレスが掲載されているのも見つけた。ちなみに、地下にもプラットフォームがあるが、ここがまた薄暗い中にロシアンロックをガンガンにかけるバーや物売りが乱立しており、かなり怖い。
時刻は10:45, ホテルからクールスク駅までの行き方は把握できたので、モスクワ観光を行うことにする。今回は、なぜかこれまでに縁のなかった名所を周ることとし、まずはノヴォデヴィッチ修道院へ。クールスク駅から3号線に乗り、プロシャーチ・レボリューツィ駅からテアトラリナヤ駅を経由してアホートヌィ・リャト駅(この3駅は改札内でつながっていたのであった)で1号線に乗り換えてスポルチーヴナヤ駅へ。地上に出ると、何処の団地に来てしまったかというような風景だったが、右に10分ほども歩くと修道院の玉ねぎが見えてきた。ここは、むしろ周囲の池からみた風景が有名なので、まずはそちらへ。なるほど、静かに水を湛えた池に修道院の建物が移る
は絵になる。木陰のベンチでしばし休憩。
その後、修道院の中へ。団体の観光客がたくさんいる。建物を観るだけなら、特に入場料は要らないらしい。金の玉ねぎを頂点に、周囲を4つの銀の玉ねぎが囲むやひときわ高いモスクワ・バロック様式のが見どころ。また、ここはもともとクレムリンを守る砦のようなものだったらしく、周囲はに囲まれている。現在は女子修道院だそうな。
12:15分頃に修道院を後にする。この辺りには適当なカフェもないので、そのままスポルチーヴナヤ駅へ戻り、プーシキン美術館へ行くためにクロポトキンスカヤ駅へ。12:30頃に地上に出ると、鐘がひっきりなしに鳴り響いていてちょっと驚いた。真横に、再建されたばかりの救世主キリスト聖堂があり、そこで鐘を鳴らしているのだ。真新しいせいか、有難みにはやや欠ける教会ではある。
道路を渡ってプーシキン美術館へ。ここには数多くの彫刻や絵画が展示されているが、彫刻のほとんどは模造品である。しかし、絵画の多くは本物で、特に印象派の作品群が素晴らしいとのこと。300Pを支払って中へ。見どころのほとんどは2階に集中している。Room 17には、瑞々しく明るい筆致と色使いで私が最も好きな画家であるマチスの作品が集められている。また、『青の時代』のピカソ、シャガールなども展示されている。Room 18にはセザンヌやゴーギャン、Room 21にはゴッホ、Room 22にはマネ、モネ、ルノワールなどの作品が展示されている。このコレクションはなかなかのものだ。ただ、残念ながら、この美術館にはカフェはないらしい。(美術館のカフェは安くて美味しい、というのが世界共通だと思うのだが。)なぜか、地下のクロークを経由して出口へ。
プーシキン美術館で昼食を、という当てが外れたので、過去にもお世話になっているマネージ広場地下ショッピングセンターのフードコートに行くことにする。20分ほど歩いて到着。と、エスカレータを降りたところにあったはずのフードコートがない! しかし、場所を移して営業中とのことで一安心。ピザ・ケーキ・サラダバー・寿司(!)などもあるが、今回はブリヌイ(クレープ)を選択。写真で出ていたラズベリージャム入りのブリヌイとペプシ(小)で計75P也。ブリヌイはほのかに甘く、バターの香りも悪くない。なかなかの選択だった。メニューには実にたくさんの種類があるが、イクラ入りなんか面白いかもしれない。
14:40まで休み、午後になって(太陽の角度の関係で)写真が撮りやすくなっているので、待望の赤の広場へ。やはりモスクワに来たらここを訪れないわけにはいかない。と、警官に呼び止められ『パスポートを見せろ』とのこと。モスクワ3回目で初のパスポートチェックである。もちろん問題なし。赤の広場へ行くと、広場は開放されて誰でも歩けるようになっている! 2年前は封鎖されていて歩けなかっただけにこれは嬉しい。じっくりと踏みしめる。やはり来て良かった。広場を横断して聖ワシリー寺院まで。この不条理な美しさを思いつく人の頭の中はどうなっているのだろう。(
・・・・・)
時刻は15:45を廻り、そろそろ時間切れである。いったんホテルへ戻り、荷物を受け取って、そこから列車のチケットとバウチャーの綴りを取り出してバックパックに納めて再びプロシャーチ・レボリューツィ駅へ向かう。モスクワの歩道は凸凹が多い上に不必要な段差があって、大きな荷物を持っているときはとても歩きにくい。しかも、地下道を経由するときはしっかり階段であり、スロープなどはない。駅まで一苦労だった。
さて、16:30頃にクールスク駅に着き、出発便の
を見ると、私が乗る予定の列車がちゃんと掲示されている。列車番号816, モスクワ発ウラジーミル行きのエクスプレスだ。問題はプラットフォームの掲示である。なんだ、その"9T"という表示は。案内図(らしきもの)を見ても"9T"などという表示はない。ひっきりなしに流れるアナウンスも、インフォメーション掲示板もちんぷんかんぷんなロシア語だけ。うろうろしていると、案内図の下に通路があるのを見つけた。行ってみると、ここにも切符売り場と自動改札があり、その向こうにはプラットフォームがある。ここのことかもしれないが、この切符は自動改札を通れるとは思えない。思い切って改札側の駅員に切符を見せると、『通れ』といわんばかりに改札を開けてくれた! 改札を通ると、屋外のがいくつか。停まっている列車はなかなかに気合の入った代物。プラットフォームの傍にある掲示板もドット落ちが激しく何だか分からない。しかし、9番プラットフォームには、ここから816番が出ることを示す掲示があり一安心。ピロシキ1個とコーラ(500ml)1本を35Pで買う。ピロシキは美味かったが、コーラは室温だった。水(500ml)1本も20Pで買っておいた。
17:45頃に
が入ってきた。さすがに周囲の列車よりは真新しいようだ。先頭車両には『ウラジーミル』の表示がある。列車の各号車の入り口に駅員が待機し改札を行う。指定された6号車に無事に乗り、これまた指定席の17番に座ることが出来た。ちょっと狭いが清潔で良し。定刻の18:04に発車。すぐにスピードを上げる。車内の空調はないが、窓際の客が窓の上部を開けてくれるので風が入ってきてまぁまぁ快適。少し眠る。眼を覚ますと、既に人家はまばらな光景に。ところどころに、小さな街や廃墟のような工場があるが、すぐに平野と森に戻る。他の客もうたた寝をしているが、隣のカップルだけは延々といちゃついている。全くもって許し難い。
20:30にウラジーミル駅に到着。モスクワから北東に約190kmほど走ったことになる。さて、陽は既に落ちており、何としても暗くなる前にホテルに入りたい。本当は水や食料を買いたかったのだが、ホテルの周囲にも何かあるだろうと期待しすぐに歩き出す。右手の坂道を登り、途中から階段を登り(荷物を持つ者にはつらい道である)、300mほどで大きな通りに。恐らくこれが、ウラジーミルのメインストリートであるだろう。これを渡り、右手に1kmほど歩けば、本日の宿泊先である"Hotel Erlangen House"に着くはずだ。急げ急げ。しかし、行けども行けども活気のかけらもない街だ。商店もない。少し行くと、通りの名前がバリシャヤ・ニジェゴロドフスカヤ通りに変わった。この道で間違っていない。後は25番地を探すだけ。と、普通の民家としか思えないがあった。表札もあるし、allvladimir.ru にある写真とも同じ。間違いない、ここだ。門扉を開いて中へ。
実は、このホテルについて随分ネットを検索したのだが、ほとんど情報がなく、若干の不安を抱いていた。ホテルの建物の入り口には鍵がかかっており、ブザーも鳴らない。隣の窓が開いているのでそこから大声でばぁさんを呼ぶと開けてくれた。ところがこのばぁさん、見事にロシア語しか話さない。まずは宿泊者カード(英語表記あり)に記入し、バウチャーとともに渡す。すると、何だかしきりにロシア語で言ってくる。やっとのことで、明日の朝食の時間のことらしいと分かり、08:00で依頼。また、パスポートの登録を依頼すると『うーとら』と繰り返す。明朝ということか? ここからは想像だが、このばぁさんは単なる夜の留守番で、明朝には英語を話せる正規のスタッフが来るのではないだろうか。というか、そうであることを切に希望する。時刻はちょうど21:00, かなり暗くなっている。やれやれ、ぎりぎり間に合った。
2階の部屋に案内されると、これまた狭い部屋で、よくこれをツインにしているなぁと思う。さらに、部屋の中には蚊や蝿がいる。蚊は運良く撃墜できたが、念のために日本から持参した携帯用の虫取りを使う。まぁ、テレビも映るし、電源も取れるし、熱いお湯のシャワーも浴びられるが、この宿には圧倒されっ放しだ。昨日との落差が激しすぎる。ここには、スズダリからの帰りにも1泊することになっているのだが、そのときはもっと早い時間帯(=英語スタッフのいる時間帯)にチェックインすべきか。明朝、英語のスタッフが来たら、いろいろと訊いてみなければならない。ここでは、荷物の預かりやタクシーの手配を依頼したかったのだ。とにかく、ここまではウラジーミルに驚かされることばかりで、ロシアにも少しは慣れているつもりだったが、そんな認識の甘さを痛感した。
さて、食料も水も手に入れることが出来なかったので、非常食として持参したカロリーメイトを少々齧ることとする。ここまでは、食事の事情は悲惨といえよう。明日はマトモなものを食べたいなぁ…
明日は、ウラジーミルを観光(ここも世界遺産の一部を構成している)した後、今回の旅の最大の懸案である自己手配での交通手段で、目的地であるスズダリへ。早めに行ってホテルでうたた寝でもしようか。
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