Vladimir / Suzdal

 ベッドのスプリングが壊れているのか、寝返りをうっただけでえらく軋む。それでも、07:15まで眠ることが出来た。朝食を08:00と伝えてしまったので、とりあえず最低限の身支度をして食堂へ。と、一人分の朝食としてパンやサラミ、ヨーグルトなどが整えられ、おねぇさんがオムレツを作っているところだった。『ぶい・がばりーちぇ・ぱ=あんぐりーすきー?(英語話せます?)』『にぇーと』…この人ではないようだ。『ぢぇーびゃち』と繰り返すのでメモに"9"と書くと頷いてくれた。09:00に英語の話せる人が来るということか? 何はともあれ、オムレツだけでも温かいし、それなりに量もある朝食でそこそこ満足。
 09:00になり下に降りていくと、鍵のかかっていた扉の一つが開いておばさんが座っている。この人だろうか。『ぶい・がばりーちぇ・ぱ=あんぐりーすきー?』『にぇーと』…この人でもなかった。ただ、この人がまだ閉まっている別の扉のところに連れて行ってくれ『ここの人だ』とジェスチャーしてくれた。階段下の椅子で待つことにする。昨日は気づかなかったが、Guete Insituteをはじめドイツ関連のポスターがいくつか貼ってある。何か関連があるのだろうか。
 待つこと30分、別のおねぇさんが出勤してきた。先のおばさんが『この人だよ』と示してくれる。早速オフィスに入りパスポートの登録を英語で頼むと、流暢な英語で『分かりました』と! 5分ほどで登録を終えてパスポートを返してくれた。次いで、水曜のことを話すことにした。『水曜にまたここに泊まるのですが、木曜の列車は07:25発のモスクワ行きなので、水曜のうちに登録をしてもらわねばなりません。何時頃に来ればいいですか?』と、バウチャーと列車のチケットを見せながら話すと『何時でもかまいませんよ』とのこと。16:00までにホテルに到着して登録を行ってもらうこととした。
 この人はとても親切だし、英語も流暢だ。物事が上手く廻り始めたことを実感する。この流れに乗ってみよう。ついでに、本日のプランについても相談することとし、まずは荷物を預かってもらい、ウラジーミルの北東10kmほどにある有名な教会までの往復のタクシーの手配をお願いすると、これも引受けてくれた。往復で300P, さらに待ち時間について1分当たり2Pでまとめてくれた。5分ほどでタクシーが来たので乗る。


 向かっているのは、ボゴリューボヴォという(人間の発音能力の限界に挑戦するような名前の)街にある、ポクロフ・ナ・ネルリ教会。川の畔に立つ白亜の教会で『ロシア建築の白鳥』などと呼ばれているそうな。道を行くと、たくさんの古ぼけた団地や工場が立ち並ぶ広い通りへ。こちらのほうが現代のウラジーミルの中心地らしい。工場やトラックが盛大に排気ガスを出している。15分ほどでボゴリューボヴォに入る。良く分からないが教会が出迎えてくれる。ここを過ぎてしばらく行ったところで右に曲がると、舗装されていない道を下る。と、ボゴリューボヴォの駅前広場(ただし、店も何もない、文字通り広いだけ)に出た。この線路を渡る車道はないらしく、ここからは歩いていかねばならないらしい。ここで待っていてくれるよう再度お願いし、歩き出す。
 小さな森を抜けると草原になっていて、そこに誰かが何度も踏みしめたような固い土の道がある。これをちょっと歩くと、彼方に目的の教会が見えてきた。ひたすら歩く。考えてみれば、土の上を歩くのも久しぶりのような気がする。途中では、牛や山羊がのんびりと草を食んでいる。空には(少し雲があるものの)青空が広がり、地には草原と森が広がる。そして、遠くには教会の玉ねぎ。まさに、想像していたロシアの

風景
だ。
 15分ほどで教会の近くまでたどり着いた。白い教会は垂直に天を目指して立ち、凛とした美しさを見せている。そして、ネルリ川がちょうど池のようになっていて、その水面に教会が映えており、2つの像が気品ある静かな美を形成している。ただし、見事に逆光となってしまった。ここは午後に来るべきだったのだ。もっとも、一年の大半は雪や水に覆われ、そもそもここまで来れるのが夏のごく限られた時期だけというのだから贅沢はいえない。あとは、デジカメの性能に期待するしかない。池を廻って教会の側へ。近くで見ても美しい教会だが、やはり池越しの風景がベストだ。周囲には駐車場はおろか道すらもなく、駅から草原を歩いて来るしかないようだ。(やる気のない土産物屋が一軒出ている以外は)周囲に誰もおらず、虫や鳥の鳴き声の他には物音もなし。しばし見とれる。人工の音のない環境も久しぶりだ。ここに来ることが出来るか分からなかったが、来ることが出来て本当に良かった。まさに、幻想的とすらいえる『静謐の美』である。(

 あまり待たせると後の請求がつらい。教会を後にして戻りの
を歩き始めた。10分ほどで
へ。この駅に止まる列車ってどれくらいあるのだろう。店もなーんもないどころか、街灯すらないのだけど。車へ戻り、ウラジーミルへ。ところで、途中の
これ
がとてつもなく気になった。まさか、こんな人口密集地の近くで…?


 11:00頃にホテルへ戻った。請求額は380P, まぁ悪くはない。いったんホテルへ戻り、引き続いての手荷物の預かりと、戻ってきた際のスズダリへのタクシーの手配を依頼する。当初はバスでの移動を考えていたのだが、少々疲れを覚えている。少々の出費よりも心身の安定が優先されるべきである。両替および昼食と飲料水の入手、ウラジーミルの観光を行うために、再び街へ。
 ウラジーミルは、キエフのウラジーミル公が1108年に創った古都で、ウラジーミル・スズダリ公国の首都として繁栄したこともあったそうな。バリシャヤ・ニジェゴロドフスカヤ通り→バリシャヤ・モスコフスカヤ通りを西へ辿る。モスクワにあるようなスタンドや気軽に入れる商店がなかなか見つからない。30分ほど歩くと、この街の中心的な存在であるウスペンスキー大聖堂が見えてくる。この向かい側に、Sberbankという銀行があり"Exchange"の看板を出しているので入ってみると『両替はこの建物の奥の入り口から入るところでやっている』というのでそちらに行く。USD$50を1,475Pに両替。これで、スズダリへのタクシーも含めて一安心。
 Sberbankの近くには、LPで紹介されているレストラン"Stary Gorod"がある。11:45になっているので昼食を摂ることにした。英語版のメニューがあるのが有り難い。Pork "Old Town", White Bread, Icecream "Old Town", Colaの4品を注文。Pork "Old Town"は、骨付き豚肉をあっさりとソテーしたもので、甘酸っぱい味付けが良い。Icecream "Old Town"は、4つのバニラアイスにホイップをかけ果物の砂糖漬けをまぶしたもので、ちょっとしつこかったが疲れ始めていた体には甘いものが嬉しい。ただ、甘い匂いに惹かれたのか、蜂が周りを飛び交う。ついにはコーラの中に落ちてしまった。それにしても、食事の重要性を再確認。きちんとしたものを食べることで栄養補給だけでなく心も和む。計210P也で値段も満足。08/24にウラジーミルに戻ってきた際の夕食もここで摂ろう。


 バリシャヤ・モスコフスカヤ通りをさらに西へ歩くと、道路の真ん中に大きな門が建っている。『黄金の門』と呼ばれ、1164年の建造以来何度も凱旋門として使われてきた。車やトロリーバスもここを迂回して通っている。(


 バリシャヤ・モスコフスカヤ通りを東へ戻り、先ほど通りかかったウスペンスキー大聖堂へ。(
) ここでは、15世紀のイワンIII世までのウラジーミル大公やモスクワ大公の戴冠式が行われていたそうな。有名なモスクワのクレムリンのウスペンスキー大聖堂は、ここを模して建造されたという。さらに、クレムリンのウスペンスキー大聖堂は、セルギエフ・ポサドのウスペンスキー大聖堂の手本となっている。これで、三世代のウスペンスキー大聖堂を観たことになった。


 だんだん雲が増えてきて、陽射しを遮るようになってきた。怪しげな黒い雲もある。傘を持ってはいるけれど、雨に降られるのも面倒なので、ここでホテルに戻ることとし、バリシャヤ・モスコフスカヤ通りを東へ戻った。途中、やっと水を調達し、13:45にホテルへ戻る。例のおねぇさんに、スズダリまでのタクシーの手配を依頼すると、350Pでまとめてくれた。想定予算(500P)よりも安いので有り難い。水曜日にまた会うことを念押しし、タクシーに乗り込む。
 朝に通った道を再び通り、途中から左に折れると、なだらかな丘陵地帯に広がる草原と、ところどころに見える集落というのどかな光景。ただし、運転手がラジオの60年代ロックをがんがんにかけるので雰囲気が台無し。こいつに限らないが、周囲の雰囲気をわきまえずに音楽を撒き散らすのは是非止めて頂きたい。一本道をひたすら飛ばし、バスなどをどんどん追い抜いていく。もっとも、この車を追い抜いていく車もたくさんある。ロシア人の運転マナーは凄まじい。


 14:30に、今夜の宿泊先である

ポクロフスキー修道院
に到着。あぁ、やっと今回の旅の目的地であるスズダリに到着することが出来た。500P札を出すと『400Pにしてくれないか?』などと言い出す。まぁしょうがない。この修道院の中には、インツーリストが経営するコテージ式のホテルがある。小屋の一つが"RECEPTION"の看板を出しているので中に入ると、英語を話せるおねぇさんがいる。いつも通り、バウチャーとパスポートを出すと、鍵をくれた。隣にある4番の建物の1号室(2号室までしかないけど)だ。外観はいい雰囲気の木造の
小屋
で、鍵もなかなかの年代物で開閉に一苦労。
部屋
に入ると、これまでの苦労が一時に報われたような気がした。素晴らしい雰囲気だ。失礼だが、とてもインツーリストとは思えない。荷物を出して、しばしぼーっとする。何の音もしない。ただし、電源がないので、TVのコンセントを抜いて延長コードを挿した。どうせ一つのチャンネルしか映らなかったし、ロシア語で何だかさっぱり分からかったし。
 15:30頃にレセプションに出向いてパスポートを返してもらう。朝食は09:00-10:30で、奥にあるレストランで摂るとのこと。ついでに周囲をざっと歩いてみることにする。修道院の中央には
ポクロフスキー聖堂
が鎮座している。これは、現役の修道院として活動している。その隣にも
古い教会
がある。これらを取り囲むように宿泊用のコテージが点在しているわけである。修道院の前には
聖ペテロ・パウロ教会
。白い壁に銀の玉ねぎが清楚で美しい。修道院の
城壁
に沿って北へ歩くと、左側には木造の
民家
が並んでいる。カラフルでとてもお洒落だ。さらに歩くと、小高い丘の上に教会が見える。
スパソ-エフフィミエフ修道院
だ。その手前にはカメンカ川が流れていて、架かっている橋は
木造
。のどかそのものといった風情だ。橋を渡り、高台へ登ると、
ポクロフスキー修道院
が見える。スパソ-エフフィミエフ修道院の壁に沿って歩くと、スズダリのメインストリートであるレーニン通りに出る。ここにも
スモレンスカヤ教会
がある。全ては明日じっくり観て廻るつもりなので、
レーニン通り
を南へ辿る。メインストリートだけあって車が次々と走っていく。しかし、街灯こそあるものの、街路樹が成長し過ぎていて役に立つか疑問。スズダリでは夜の行動はかなり難しいので、暗くなる前にホテルに戻らねばならないだろう。
 途中の食料品店で水2本を調達。1kmほど歩くと、
リツポロジェンスキー修道院
の前を通り、先ほど車で通ったクルプスコイ通りとの交差点に出た。ここを右に折れればポクロフスキー修道院に戻れるはずだが、LPの地図から察するに1kmほどはある。しかも、この道は起伏に富んでいて距離以上に疲れる。再びカメンカ川を渡り、ポクロフスカヤ通りを右へ曲がってようやくホテルに戻れた。


 一休みしてからホテル内のレストランで夕食を摂ろうと考えているうちについ眠り込んでしまい、19:10に目を覚ました。で、レストラン"Trapeznaya"に行ってみると、鍵がかかっていて入れない! 中からはドリルの音がする。改装工事中か? 予想外の事態にパニクってしまい、ポクロフスカヤ通りを挟んだ反対側にホテル・レストランの看板が出ていたことを思い出し、そこに飛び込む。地下にレストランがあった。木造のテーブルや椅子などを使って雰囲気を出そうとしているのだろうが、店員が流している大音量のPVで全ては台無しである。一応、英語版のメニューがあるが、品名が凝り過ぎていて何だかよく分からない。(品名"Chinese Diplomat"で"Rice"って…) 期待も出来そうにないのでそこそこの値段のものを頼むことにし、Roasted Turkey, Rice, Baked Apple, Teaを注文すると、Baked Appleはないとのことなので、ヤケでその下にあったSweetsにした。20分ほども大音量のPVに悩まされているうちにようやく料理が来た。Roasted Turkeyはトマトベースの味付けになっていて、しかも炊いたライスと一緒に盛り付けてきやがる。作り立てなので何とか食べられた。デザートはさらにひどく、蜂蜜と何かを混ぜたべとべとしたもの。口の中がべとついてどうしようもない。紅茶はもちろんお湯とリプトン。泣ける… これで230P也。明日はもっとましなものを食べたい…


 20:15にホテルへ戻り、ふと朝食のことが気になったが、今日は疲れたのでそのまま部屋へ引っ込んだ。静けさの中で、ひたすらこの日記のためにキーボードを打つ音が響いているわけである。
 明日は、この旅行中で唯一の、チェックインもチェックアウトも移動もない日。ゆっくりと寝て、ゆっくりとスズダリの散策を楽しもう。このためにここまで来たのだから。


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