Fes

 07:20に起床。身支度を整えて、まずは朝食を摂る。もっとも、パンの類とコーヒー、ジュースしかなく、温かい物もない。薄焼きのアラビアパンに蜂蜜をつけて食べる。
 今日は、今年の旅行のハイライトであるフェスの旧市街の散策である。昨日ホテルのフロントに依頼しておいたガイドが時間通り09:00に来た。Hafid Mohammedというがたいのいいおっさんだ。まずは、今日の内容と価格を打ち合わせる。お勧めプランは、まずタクシーをチャーターして、王宮→メラー(旧ユダヤ人街)を歩き、南の城址からメディナの全景を観て、陶器職人の工場を見学、さらに北の丘の上からもう一度メディナの全景を観てブー・ジュルード門でタクシーを降り、メディナを散策して、昼食を摂って14時にホテルに戻るというもの。この内容で、ガイド料金が300DHにタクシー料金が200DH, 南の城址とブー・イナニア・マドラサの施設見学料が50DH, それに内容を好いと思ったらチップを足して欲しい、という。(もちろん昼食代は実費がかかる。) 正直に言って予算を超えているのだが、ホテルの紹介するガイドであるから間違いもなかろうと考えて承諾した。
 ホテル前の喫茶店に座っていた老人を紹介される。彼はハジ(メッカ巡礼を果たしたイスラーム教徒)とのこと。『日本は他国に干渉しないから好きだ。アメリカは他国に干渉し過ぎる』そうな。Hafidいわく『原爆のことを忘れるべきではない』と。たった一つ知っているまともなアラビア語『アッサラーム・アレイクム』と挨拶するととても喜んでくれた。ほどなくタクシーが来たので乗り込む。
 まずは昨日も足を運んだ王宮へ。

正門
には7つの門があり、7つの天国を象徴しているのだそうな。その横を往く、昨日も歩いた通りがメラーで、旧ユダヤ人街だそうな。もっとも、現在はムスリムが住んでいて、『ユダヤ人はイスラエルが建国されたときに行っちまった』そうな。さらに、ここの
建物
はもともと南スペインの人々が建てた物で、内部を装飾するイスラーム建築とは異なり、外に向いたバルコニーが装飾されているのだそうな。この通りから右へ入ると、本当のメラー内だというので入ってみる。
狭く薄暗い通り
を抜けると店がたくさん。いろいろな匂いが入り混じっている。メディナもおそらくこんな感じなのだろう。と、ここでHafidに『そんなに急がなくてもいい。お前が客なのだ。モロッコでは、急ぎすぎるやつはろくな死に方をしない、という。』といわれ、はっとした。そうだ、もっとゆっくりと時間をすごしていかねば。
 通りを抜けたところに、昨日潜った
スマリン門
がある。昔は、この門がユダヤ人街とムスリム地区を分けていたのだそうな。ここで再びタクシーに乗り、南の城址を目指す。


 丘を登ったところに砦の跡がある。ここからは、全長15kmほどの城壁に囲まれたメディナの全景が好く見渡せる。10世紀に出来てからほとんど変わっていないのだそうな。(


 再び丘を降り、5分ほどで陶器職人の工場へ到着。ここでは、陶器やタイル細工などを手作業で造っているのだそうな。まず、工場のスタッフが、粘土から陶器などが出来るまでの各工程を案内してくれる。(
) そして最後にあるのが、地下にある即売所。各国からのツアー客でごった返している。友人などへのお土産として小さい物をいくつか買い、クレジットカードで支払って計206DH也。旧市街の見学は、このように伝統工芸品の工場を見学して最後に物売りが始まるというパターンが多いであろうから、今後も意を強くして、買いたくない時は(そのほうが多いだろうけど)断っていかねばならないだろう。
 車に戻り、今度は北の丘へ。ここは墓地にもなっている。再びメディナの全景を観て、ほどなくブー・ジュルード門へ。ここでタクシー料金を支払い別れる。この門は、表はフェス・ブルーといわれる青だが、裏はイスラームを表す緑なのだそうな。(
) いよいよ、世界最大の迷宮・フェスのメディナへ足を踏み入れる。


 門を潜ると、

食料品のスーク
(市場)になっている。食肉から豆類、果物、なんだか分からないものまでがそれぞれの色彩と匂いで自己主張し、異様な活気だ。通りもどんどん狭くなり、人の行き来も大変なところへ、時々荷物を積んだ馬やロバが通る。もちろん、動物が優先されるのである。車やバイクなどは入れない。昔ながらの市場の光景にほぼ近いものが残されている。
 少し歩いたところに、ブー・イナニア・マドラサがある。14世紀に建てられた神学校だそうな。中庭を囲む建物に施された幾何学模様の彫刻が信じられないほどの美しさだ。ミナレット(塔)の調和も見事。(

 マドラサを後にして、ひたすらHafidについて歩く。道は曲がりくねっていて、もはや何処をどう歩いているのか全く分からない。商店が続くかと思えば突然水飲み場が現われ、観光客と地元民が交錯する中を話し声とクルアーンの朗唱が響き渡る。自身の中にある日常が消えていくような気がする。(
) 次に案内されたのが、銅細工を売る店。王室御用達らしい。彫刻の様子などを見せてもらったが、ここでは何も買わなかった。さらに少し歩いて、昔の王宮だというところに案内された。現在はレストランにでもなっているのか、客席が設けられているが、豪華で繊細な内装は王宮といわれても納得。不思議に落ち着ける空間だ。ここの屋上からもメディナを好く見渡せる。(


 一休みしてさらに歩く。道はさらに狭く、人はさらに増えていく。皆、いったい何処から来て、何をしに、何処へ行くのだろう。自分がここにいることが不自然なようで、それでいて当然のような、不思議な感覚だ。と、広場(といっても、周りよりは広い、という程度だが)へ出た。ネジャリーン広場である。(

) この辺りがメディナでも一番の繁華街らしい。Hafidが誰かと話をしている(この人はあちこちで話しかけられる。メディナで顔が利く人物なのだろうか?)と、横にいる人に英語で話しかけられた。『亀がいるよ。写真を撮れば?』というのでうっかり撮ってしまうと『チップをくれ。1ドル。』ときた。やられた。しょうがないので5DH握らせる。この広場の横には
大工の作業場
があり、椅子などを造っていた。
 次に案内されたのは絨緞屋。ここでもスタッフに引き渡され、ミントティー(中国茶にミントの葉を入れて砂糖を入れたもの。香りがミントで味は甘いという不思議な飲み物)をご馳走になりながら、いろいろと絨緞を見せられる。もちろん買う気などないのだが、『シルクかキリムか?』『大きいものか小さいものか?』『赤か青か?』など、次々に選択肢を提示する。なるほど、二者択一を迫って客を追い込むのか。ある意味で勉強になる。散々出させて、お茶も飲み終えたところで、『これまで出したものを一つずつ見せるから、YESかNOをいってくれ』という。2/3ほどNOを言い続けたところで『どういうものがいいんだ?』といってきたので『悪いが買う気はない。』と返答し、意外にあっさりと解放された。絨緞見物そのものは面白かったが、ちと精神的に負担ではある。
 さらに歩き続ける。すぐ近くの民族衣装の店に案内された。モロッコの人が着ているジュラバというゆったりした服を試着させられる。砂漠の民のような格好になり、Hafidが記念撮影をしてくれた。これで、AK-47を持ってアラビア語のスローガンの前に立てば(以下自粛) さて、これは意外に楽な服装で、部屋着に欲しくなった。白を出してもらうと、Hafidが『スカーフつきで、だいたい600~700DHだ。』と教えてくれた。それでは高くて手が出ない。店のスタッフが最初に提示した値段はなんと2,200DH!! いくらなんでも足元を見すぎである。『いくらなら買う?』というので、断るつもりで250DHを提示すると、店員もHafidもとんでもないという顔をした。『綿ではなくポリエステルなら…』と店員が勧めようとするが、『痒くなるから駄目だ。』Hafidが遮る。店員、今度は1,600DHを提示するが、もちろん拒否。『ラストプライスを出してくれ』というので、300DHを出してみると、なんとこれで商談成立(ただしスカーフなし)。この値段ならば私も納得できる。しかし、アラビア式商談の恐ろしいこと。もっとも、単に自分の仕事を出来る限り高く評価させたい、ということなのかもしれない。私は、他人や世間の評価を無批判に受け容れることに慣れ過ぎているのかも。自分なりの評価を求められたときに自信を持って回答できないことに気づいた。


 さらに歩いて、今度は

ムーレイ・イドリス廟
についた。ここはムスリム以外は立ち入り禁止で、外から覗くしかないが、それでも内装の美しさを楽しめた。この近くにあるアッタリーン・マドラサとカラウィン・モスクは、修復中とのことで残念ながら見学できず。その近くにある昔の
キャラバンサライ
(隊商宿)を観て、
衣料品のスーク
を抜けて、クライマックスとなるタンネリへ歩き続ける。急に店が途絶え、人通りも少なくなった。それまでの喧騒が嘘のようだ。(
1
2

 路地を曲がると、急に観光客がたくさん。革製品の店になっていて、2階からタンネリを見学できるとのこと。入り口でミントの葉を渡される。店内は革製品の独特の匂いに満ちていて、この匂いが大の苦手な私は何度もミントを嗅いで何とかしのいだ。2階のバルコニーからは、なめし革の染色を行う作業場であるタンネリが見渡せる。染料は未だに天然もので、サフラン・ヘンナなどを使うのだそうな。職人が手作業で大きな壷に満たされた染料に革を漬けて染め上げる。牧場のような独特の匂いが鼻をつく。何とも厳しい仕事ではある。(
) この後、当然のように革ジャンなどを勧められたが、革製品が苦手な私は全て早々に断って外に出た。


 時刻は12:30, これでメディナの主だったところの観光はほぼ終えて、昼食となる。Hafidに『フェスに来たのだから、フェスの名物であるパスティラを食べてみて欲しい。』といわれたので、それで案内をお願いする。5分ほどでレストランに案内された。

内装
は好い感じ。こういう店にも入らなくては遥々とやって来た甲斐がないというもの。サラダ・パスティラ・フルーツのセット(220DH)に、水を注文した。さて、その
パスティラ
だが、鳩の肉や野菜などをパイ生地で包み、アーモンドや砂糖などを振りかけて焼き上げたものだ。外側は甘く、生地の中身は少々こってりとした味付け。ご飯のおかずには絶対になり得ないが、灼熱の空気の中を歩き回った後だと意外に美味しく感じる。やはり、料理は風土に合わせて発達していくものだなぁ。日本では食べたいとは思わないが、フェスを訪れることがあれば食べてみてもいいと思えた。税金とチップで計270DHを支払う。店員がバラ水を手と頭にかけてくれた。バラの香りが何となく涼やかに感じる。


 休憩を取り、13:30に店を出て、少し歩いてプチタクシーに乗り、ホテルへ戻った。ホテルのロビーで清算をする。約束の300DHに施設見学料の50DHをmustとして、問題はチップをいくらとするか、だ。店の案内が多いきらいはあるが、メディナの見所を効率好く周ることが出来たし、全体として好いガイドと思えたので、少し多いかもしれないが100DHを乗せて計450DHを支払うことに決めた。ただ、手持ちのディラハムが少なくなってしまうので、USD$60にて支払う。Hafidと別れ、部屋に戻り、旅日記をつける。観るべきものは観たという満足感があるので、夕方の外出は取り止めることにした。


 メディナ観光は、もちろんこれまでに見たことのない風景を見たという点でも楽しかったが、それ以上に、自分を見つめ直すいい機会になった。まず、急くことなく、もっとゆったりと生きていく必要がありそうだ。そして、他人や世間の評価を無批判に受け容れるのではなく、『定価』や『常識』だけに捉われずに、自分自身であらゆるものの価値を評価し、それを恐れずに提示することも必要だろう。1000年を生き抜いた古都に、一個の人間として生きるために必要な道を教えられたような気がする。ここまで来た甲斐があった。


 19:00に部屋を出て、ホテルのロビーにあるバルコニーでメディナの夕景を楽しむ。暖かい風が何とも心地好い。19:30より夕食を摂って部屋へ戻る。
 明日は、07:00発の列車でマラケシュへ向かう。早朝出発と約7時間半の長旅というタフなスケジュールである。昨日のように、コンパートメントを占有出来ればいいのだが。今年の旅行も後半戦、いつもながら早いものである。


Next Page

Return to Index