Marrakech

 05:20に起床、身支度を整えて、06:10にチェックアウト。まだ朝食の時間ではないと諦めていたのだが、『もう開いているから食っていけ。』というので有り難く受ける。甘めのパンを少々とオレンジジュースを頂いたところで、06:20にドライバーが来たので車に乗る。早朝のフェス新市街をゆっくりと走っていく。カフェはもう開いていて、行き交う人もぽつぽつ。新市街では、背広やワイシャツの人が多い。こんなにゆっくり走っていて間に合うのか…?と心配になったところで、

フェス駅
に到着。なんだ、こんなに近かったのか。時刻は06:35, 列車の発車時刻は07:00なので十分余裕がある。ドライバーと別れて駅舎へ。ところで、ドライバーいわく『フェス駅はアフリカで最初に完成した駅』とのことだが、本当だろうか?
 駅の中は早くもたくさんの人でごった返している。3番線へ向かうと、既に
列車
は着いていて客が乗り込み始めている。15両編成くらいの長い列車の一番端に2両ほど連結されているのが一等車なので、ひたすら歩く。やっとコンパートメントにたどり着いた。と、地元民らしきおっさん2名にヨーロッパからの観光客と思しき若い女の子1名が乗り込んだ。コンパートメントを占有してゆったり過ごす目論見は敗れ去ったことになる。しかも、私の席は通路側なので、車窓の写真を撮ることも難しい。これからの約7時間半が思いやられる。定刻の07:00に出発、さらばフェス。


 おっさんのうち一人はさっさと寝始めたが、もう一人がいろいろ英語で話しかけてきた。フランス市民権を取得して大学でフランス文学を教えているのだそうな。女の子は、ウェールズの高校で美術を教えている先生で、2人とも夏休みの真っ最中。しばし世間話に花が咲く。なんとこのおっさん、一年のうち働いているのは4ヶ月のみ、しかも講義は月曜のみなのだそうな。何とも羨ましい話で、お返しに私の日常を話したら『日本人ってどうしてそんなに仕事が好きなの?』と2人から訊かれた。答えようがない…
 メクネスで寝ていたおっさんが降り、代わって日本人の夫婦が乗ってきた。もっともこの2人は会話に入ってこようとしない。シディ・カセムというところで、タンジェという港町に向かうということで、日本人夫婦とウェールズの先生が下車。会話のネタもなくなったので、お互いに音楽(私は落語だけど)を聞きながらしばし沈黙。
 コンパートメントにはいろいろな人が入れ替わり立ち代り入ってくる。中には、冷房の効かない二等車を避けてこっそり入ってきたツワモノもいて、車掌に追い出されていた。ポテトチップをくれた男の子には、お返しに日本から持参した黒胡麻クッキーをあげた。変な顔をしていた。


 11:40頃にカサブランカ着。ここで、いずれもモロッコ人の中年の夫婦と母娘連れが乗り込み、コンパートメントは満員に。もっとも、私の正面に座った娘さんがエキゾチックで可愛いのでまだましではある。しかし、先のおっさんを含めた5人が、フランス語で何やら延々と話し始める。声は大きいし、怒っているのか?というような仕草をするかと思えば笑い転げるし、鬱陶しいとしか言いようがない。いくら優雅なフランス語でも、せまい室内に押し込められて5人の会話を何時間も聞かされれば、ただの雑音である。それでも居眠りをした自分の神経を褒めてあげたい。
 と、14:00頃、荒涼とした大地の真っ只中で列車が停まった。何のアナウンスもないまま、30分ほども停まっていたろうか。乗客も騒がないところをみると、よくあることなのだろうか? やっと動き出した後も、引き続きしばらくはノロノロと走る。到着予定時刻の14:40なんざとうに過ぎてしまった。長旅がさらに長引くとは… この旅行中、定刻どおりに動いたのは東京→パリ便だけではないか。これでは、帰途のカサブランカ→パリ便がますます心配になる。


 定刻より約1時間遅れて、15:40にマラケシュ駅に到着。車外に出られたのは嬉しいが、とたんに火をつけられたような暑さ。フェスよりも暑いように思う。追打ちをかけるように、駅舎の中には私の名前を掲示したドライバーが見当たらない。10分ほどあちこちを探しても見当たらないので、カサブランカにある現地手配旅行代理店に電話をかけることにした。こんなことは初めてだ。公衆電話に10DHコインを入れてダイヤルすると、日本人スタッフが出てくれたので事情を説明し、駅舎で待つことになった。電話を終えると、そこには私の名前を掲示した人が… まったくもう、取り越し苦労とはこのことだ。車に乗って、5分ほどで本日の宿泊先である"Hotel Agdal"へ。
 このホテルのロビーはなぜか薄暗い。そして、何処かで見たような感覚だ。チェックインを済ませて割り当てられた306号室を見て初めて気がついた。これは、モスクワやリーガやキエフで泊まった、社会主義時代のホテルの造りに似ているのだ。何の装飾もなく造った建物に無理やりにアラビア風の装飾を施したものの、照明やエレベーターなどが古くさいのだ。昔はこれでも何とも思わなかったのだろうけど、何度か好いホテルを体験してしまうと、正直ちょっと幻滅を覚える。贅沢になってしまったものだ。ホテルのロビーでUSD$40を330DHに両替しておく。


 17:00に外出して、今年の旅行の目的地の一つであるジャマ・エル・フナ広場を目指す。ここは新市街なのだが、真新しい建物も全てモロッコらしい赤茶色をしている。規制しているのだろうが、好い施策だと思う。さしもの

マクドナルド
も周囲に合わせざるを得なかったようだ。ムハンマド5世通りをひたすら歩く。出来るだけ日陰を選んで歩くが、暑い。40分ほども歩くと
クトゥビア
に着いた。夕陽に映えて何とも優美なミナレットだ。ここで通りを横断し、馬車がたくさん並んでいる通りを歩くと、ジャマ・エル・フナ広場である。観光客と大道芸人と物売りと屋台の料理屋とその他諸々がここで一緒くたになっている。笛や太鼓や物売りの掛け声が入り混じって、独特の音になっていて、いや凄まじいエネルギーを感じる。迫力に気圧されそうになるが、気持ちを奮い起こして少し歩く。屋台はまだ準備中なのだろうが、不思議な匂いと湯気を放ち始めている。ジュース売りの屋台でオレンジジュースを飲んだ。とても甘くて美味しい。(

 広場を後にして、マラケシュのシンボルともいえる
アグノウ門
を目指す。商店街のような通りを抜けて10分ほどで到着。なるほど、夕陽に照らされて、少し感傷的な感じがする美しい門だ。門の上で鳥が巣を作っているのも感傷を増しているような気がする。タクシーを拾って10分ほどでホテルへ戻る。やはりこのほうが楽だ。22DH也。


 このホテルでも夕食がついているので、レストランへ降りる。と、アラビア風のモロッコ歌謡が聴こえてきた。なんと、中庭にプールがあって、歌手が唄っていたのだ。このホテル、高級なんだかスタンダードなんだか分からない。夕食はコースになっていて、ポタージュスープ・タジン・桃のタルトを選択・タジンとは、モロッコを代表する煮込み料理で、三角帽子のような器が特徴的。羊肉の煮込みで、タマネギが濃厚に甘く、肉の臭みも消えていて柔らかい。美味しいのだけど、いかんせん脂が強く、何度も食べるとモタれそうだ。
 明日は、ガイドなしで広場と近くのスーク、それに宮殿などを観光する予定。今年の旅行の最後のハイライトである。それにしても、疲れた…


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