Prologue

 さて、今回は以前からの憧れの地・ヤルタへの旅である。かつてのロシア貴族のリゾート、ソヴィエト時代には労働者の保養所、そして今やリッチなロシア人やヨーロッパ人を惹きつけるリゾートとなりつつあるらしい。これまで『りぞうと』なるものに縁のない私としては、『りぞうと』初体験がキリル文字のリゾートというのも乙ではないか。『ヤルタで休暇』という、まるでロシア貴族のような響きも悪くない。さらにいえば、『犬を連れた奥さん』に逢えるやもしれぬ。
 ヤルタには空港がなく、約100km離れたシンフェローポリの空港から車でアクセスせねばならない。やろうと思えば、シンフェローポリの空港からそのままヤルタに行くことも可能なのだが、シンフェローポリ空港への到着予定が21:45であり、そのまま夜道を100kmも行くのも疲れているし危険とも思えるので、その日はシンフェローポリで一泊し、翌朝10:00にヤルタへ向かうこととした。
 手配は、今回もユーラスツアーズさんに依頼。アエロフロートの予約規則が変更となったために帰国便の予約が落とされて一日早い帰国となったり、シンフェローポリ→モスクワの予約便が突如キャンセルとなって別の便を予約したり(この結果、復路では、シェレメチェボで8時間のトランジット待ちである)となった他は順調に手配が進んだ。前回のベルリンで懲りたので、万一に備えて一泊分を機内持ち込みのバックパックに詰めておく。


 12:00発のSU582でまずはモスクワへ。フライトはほぼ満席、狭い。飲み物などのサービスも最低限だし、トイレの1つは壊れているし、AFだのJLだのNHだのに乗っていて久しく忘れていた感覚が蘇ってきた。落語と睡眠の繰り返しでひたすら時の過ぎるのを待つ。
 17:00(時計が5時間戻る)にモスクワ着。キエフに向かった4年前の旅行以来となる、シェレメチェボでのトランジットである。"TRANSFER(INTERNATIONAL)"とあるカウンターに行ってパスポートとチケットを出すと、なぜか別の係官を呼んで『この人についていけ』という。そのままDuty Freeに出て、てくてく歩くと、薄暗い一室に入れられた。中には7人ほどの客がいる。テレビがついているが、誰も見てやしない。心細くなってくるが、私の旅が始まっているんだなぁ…という感慨を覚えたのも事実である。
 18:00頃、さっきの係官が『シンフェローポリ』と声をかけたので立ち上がる。他には中国人の2人組。あとの5人はアムステルダム行きらしく、部屋に残されて残念がっていた。Duty Freeを戻っていく。ここのDuty Freeはまさしく人種の坩堝だ。先ほどのカウンターに戻り、パスポートと搭乗券を提出したが、ここでもBoarding Passは発行されず。Boarding Passがないと、どうも安心できない。そのまま下のフロアに降り、バスに乗せられた。トランジットカウンターは大混雑で、ほとんど混乱状態のように見えた。
 15分ほど空港の外延を半周して、ターミナル1へ。ビルの2階が

待ち合わせ室
になっているらしい。中には10人ほどの客がいる。薄暗い照明、無機質な内装、(ここでも)点けられているが誰も見ていないテレビ、品物が撤去されてがらんとしたキオスクの跡、何ともいえない心細さだ。もっとも、ここにはミネラルウォーターもあるし、トイレもあるし、エアコンも効いているし、まだましだと思える。係官にパスポートと航空券を渡してひたすら待つ。スーツを着たアジア系の男性に話しかけられた。日本人だというと『朝青龍をどう思うか? 白鵬、旭鷲山は?』と訊かれた。モンゴル人らしい。ウランバートルまで帰るところだそうな。
 20:00近くになっても係官は何の案内もしない。フライトスケジュールは20:10, いいかげん不安になって訊いてみると『遅れが出ました。21:15の予定です。』とのこと。さっさと案内しやがれ。さらに待つしかない。機内食をちゃんと摂ったのに空腹を覚える。カロリーメイトを持ってはいるが、これは今夜のホテルで食べるためのものなので、ひたすら我慢。ノートPCを出してここまでの日記を書いておいた。ところで、まさかとは思うが、復路での8時間待ちもここで食らうのだろうか? そう考えて対策しておいたほうが好さそうだ。


 20:45にやっと呼び出され、再びバスに乗った。気がつかなかったが、かなり強い雨が降っている。このせいで遅れたのだろうか? 待機していたTU-134に搭乗。これはまた狭い機体で、頭上の棚には蓋もない。ほどなく他の客も搭乗しほぼ満席。21:15にやっと動き出すが、滑走路が混み合っているらしくまたも待機。結局、離陸したのは21:40頃だった。この分ではいつ到着するのやら。昨年に引き続いての往路での遅れである。
 22:40(時計がさらに1時間戻る)にシンフェローポリ空港へ着陸。急いでImmigration Cardを書いて入国。しかし、まだトラブルが控えていた。成田で預けた荷物が出てこない! 係官はロシア語しか話さず、四苦八苦しながら、まずは税関申請書を書く。電話番号と何やら筆記体で書かれたロシア語、そして"14:30"と書いた紙をくれた。14:30に空港へ電話しろということか? 筆記体のロシア語も読めるようにしておくべきだったが、後の後悔先に立たず、である。とりあえず税関を出て、待っていてくれたドライバーと合流し、本日の宿泊先である"Hotel Ukraina"へ。もうすっかり真っ暗で、景色は分からない。


 15分ほどで街につくと、駅前がメインストリートになっているらしく、若者がたむろしている。ほとんどの店は閉まっているが、けばけばしいネオンサインで自己主張している店もある。なかなか怪しげな雰囲気だ。さらに5分ほどでホテルへ。チェックインしていると、ドライバーがレセプションにロストバゲージについて話してくれた。空港の係官から聞いていたのだろうか。レセプションのおねぇさんはきれいな英語で『14:30に荷物がここに届くことになっています。心配要りません。』という。って、10:00の車でヤルタに向かうことになっている。それを話すと、『荷物がここに届いてあなたがいない場合、荷物は空港に戻されます。その場合、あなた自身が空港に出向いて受け取らなければなりません。』とのこと。となれば、ピックアップの時間を変更するしかないではないか。既に23:45, 今夜はもう遅いので、明朝に空港と現地旅行代理店に電話してもらうこととして、210号室に入る。シングルベッドの、狭いがそこそこの部屋だ。エアコンがないのが難点だが。それにしても、一泊分を機内持ち込みのバックパックに詰めておいて本当に好かった。前回のベルリンに続いてのロストバゲージ、何かに祟られているのだろうか。空腹も何処かに吹き飛んで、カロリーメイトも手付かず。


 ここまでは、とても『りぞうと』に向かう旅とは思えない状態である。


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