今日も曇り空、肌寒い。朝食を摂り、10:20に出発。いよいよ憧れのポタラ宮へ向かう。ポタラ宮の正面は広い道路と広場が整備されているが、以前はポタラ宮で働く職人の住宅があったのを撤去して整備したという。(
まずはダライ・ラマの謁見の間や寝間などを観ていく。部屋は薄暗く狭いのが意外。ヨーロッパやロシアの宮殿の豪華さとは大きく異なる。もはや梯子ともいうべき急勾配で狭い階段を昇り降りしながら内部を進んで行く。前も後ろも観光客の行列。1時間しか許されていないので、足を止めずに進むしかない。
さらに奥へ入ると、ジョカンと同様に仏像や金の曼荼羅などを目にする。バターの灯明に照らされる色鮮やかで表情豊かな仏は、不思議に心に入ってくる。目よりも魂で観ているような感覚だ。ポタラ宮は、政治と宗教の中心が深く結びついた場所ということなのだろう。そして、ハイライトは歴代ダライ・ラマの霊塔である。特に、ポタラ宮の創設者であるダライ・ラマ5世の霊塔は金を3トンも使っているのだそうな。もっとも、輝くような光沢ではなく、鈍い光沢を放っているので、きらびやかな豪華さはさほど感じない。宮殿内部の装飾も色鮮やかなのだが、ラピスラズリを用いているのか、特に青が鮮やかである。
宮殿の外に出て、街並みを眺めながら階段を下っていく。(
いったんホテルに戻って一休みし、14:30に再び張さんと合流して、タクシーで約8kmほど離れた山の中腹にあるセラ寺を訪れた。ここでは、日本人で初めてチベットに潜入した河口慧海という僧も学んだのだそうな。チケット代として計150元を支払い中へ入る。広い敷地の中に建物が並んでいる。青空が心地好く、暑い。(
セラ寺を出たところで上手くタクシーを捕まえることが出来、ダライ・ラマの夏の離宮というノルブリンカへ向かった。チケット代として計180元を支払った。ラサは観光ポイントへの入場料が非常に高い。
さて、内部は広大な公園のようになっており、ダライ・ラマの離宮までかなり歩かねばならないようなので、一人当たり10元を支払って電動カートに乗った。まず、入り口の近くにある建物に入る。これまでと同様に仏像が置かれているが、これも夏の別荘らしい。
再びカートに乗り奥へと進む。これまでのラサ滞在で目にする機会の少なかった緑が目に鮮やか。ポタラ宮からさほど離れていない場所にわざわざ夏の離宮を作る理由が分からなかったが、夏の緑を楽しむためだったのではないかと思える。
ダライ・ラマ14世の
ノルブリンカを出て、ちょうど向かいのビルの2階にあったコーヒー店に入る。都会ではごく当たり前にある瀟洒な喫茶店だが、ラサでは珍しい存在に思える。カプチーノとサンドイッチを注文し、いろいろ歩き回って疲れたので1.5時間ほど休む。計230元と値段も都会並み。(もっとも、ラサの物価は押し並べて高い。)
夕食は、張さんのお勧めでキノコ料理の店へ。なんとチベットではマツタケが摂れるらしく、鍋料理として楽しむのだそうな。文化大革命を模したような制服と内装がウリの店らしいが、ここラサで文化大革命とは無神経に思える。
マツタケを中心に、キノコ・肉・野菜などを選ぶ。出汁を張った鍋に入れ、煮立ったものから食べていく。刺激的な味ではなく、出汁をもとにした味わいで美味しい。もちろんマツタケは厚切りで、香りもあり、十分に満足。計466元を支払った。
さて、本日最後の観光はポタラ宮の夜景なのだが、21時頃からが見頃らしく、時間が余っている。いったんホテルに戻って部屋で時間をつぶし、21時に再び外出し、ポタラ宮の正面に位置する公園へ。
人出も多いのだが、とにかく音楽が喧しい。『義勇軍行進曲』などが大音量でひっきりなしに流れている。せっかく美しくライトアップされたポタラ宮が台無しである。もちろん、政治的な集会をさせない意図だろう。さらに、ポタラ宮には五星紅旗が掲げられ、広場の中心には『解放記念碑』が建てられているなど、徹底して中国による支配を想起させる。ポタラ宮が美しいだけに、嫌な感じを覚えざるを得ない。(
21:40に部屋に戻る。これで概ねラサ市内の観光は終えたといってよく、明日は郊外の湖を観に行く予定だ。汗をかいたのでシャワーを浴びた… これが好くなかったのかもしれない。