06:30起床。今日は、長年の夢だったエルサレム旧市街を観光する。7時過ぎに朝食、まさにこのクラスのホテルの朝食の典型といった趣で、そこそこ種類も豊富で満足。07:30に出発。このホテルの玄関は表通りとは反対側に面しており、やや面倒。さらに、周囲に店らしい店もないようで、水などは何処かで買って持参するしかなさそうだ。天気は快晴でやや風があり、汗ばむほどでなく快適。
表通りに出ると、LRTの線路が見える。これに乗ってしまえば、旧市街の入り口であるダマスカス門まですぐに行けるようなのだが、土地勘をつかむためにあえて歩くことにする。意外に起伏がある道筋を10分ほども歩くと、城壁が見えてきた。左手に折れると
が見えてくる。いよいよ、エルサレムの旧市街だ。
まだ8時前なので、店も開いておらず、人影もまばら。(
・)ところどころにイスラエル軍の兵士がいるが、意外なほどに威圧感がない。(ラサにいた中国の武装警察のほうが威圧的なくらいだ。) ただ、持っている銃の大きさに、昨夜と同じ『本気』を感じた。10分ほども歩くと、"Western Wall"の看板が見えてきた。ここが『嘆きの壁』への入り口である。簡単な手荷物検査を通過すると、広場に出た。その左手にある壁がである。
壁の向こう側にある『神殿の丘』に、約2,000年前にユダヤ教の神殿(第2神殿)が建っていたのだが、ローマ帝国により破壊された。その際に、部分的に神殿を取り囲む壁が残り、ユダヤ人は神殿の再興の願いをここに託すようになった、ということだ。ここは、現在のユダヤ教徒にとって第一の聖地だそうな。キッパという、ユダヤ教徒が被る小さな帽子を借りて壁に近づく。周囲では、黒い衣装を着た大勢の人々が一心に祈っている。この暑いさなかでも、黒い帽子に黒い外套を身にまとっている。さぞ暑いだろうなぁ…(それと、こめかみから髪を編んで伸ばしているのはどういう意味があるのだろう?) なぜか、ここの祈りはひどく重苦しいような感じを受けた。
嘆きの壁はもともと神に近い物として造られているわけでもなく、神性を帯びるような出来事があったわけでもない。かつての防御壁にすぎないものが聖地となっている理由は、ひとえに民族の復興を願う人々の想いの積み重なりなのだろう。(・)
さて、現代の神殿の丘は、イスラームにとっての聖地という性格を帯びている。門はいくつもあるのだが、非ムスリムが入れるのは嘆きの壁近くのモロッコ門のみ。ここの手荷物検査は厳しく、待たされるばかりでなく入れないこともある、とLPにあったので、観光初日の最初の予定にここを選んだのである。それでも15分ほど待たされて、ようやく手荷物検査をクリア。ふと掲示をみると、ラマダーン期間中は午前11時までしか入れないらしい! 早めに訪れて大正解だった。屋根のある橋のような通路で登っていく。左手をみると、
を上から見下ろすことが出来る。そしてを潜った。
右手前にある大きな建物は、。ムスリムにとっては重要な寺院だそうな。残念ながら非ムスリムは入場不可。周囲ではムスリムの女性が祈っている。(彼女たちを撮影するほど無神経ではない、つもり。) そして、左手に金色のドームが見える。水場を超え、階段を昇ると、だ。金色のドームを頂く、青いタイルを基調とした繊細な装飾を施した建物は、青空に映える。涙が出るほどに美しかった。
ここにはかつて、ユダヤ教の神殿が建っていた。(ここにある『聖なる岩』で、ユダヤ人の始祖であるアブラハムが、息子のイサクを神に捧げようとした、という伝承があるそうな。) その後、イスラームの預言者ムハンマドが、天馬に乗ってメッカからエルサレムまで一夜の旅をし、聖なる岩から昇天したということで、マッカにあるカアバ神殿、マディーナにある預言者のモスクに次ぐ第三の聖地と位置付けられた。イスラームを奉ずる王朝の支配の間に、聖なる岩を囲むように岩のドームが建てられた、ということらしい。(ちなみに、イエスが十字架で息を引き取った折に、ここにあった神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた、ということで、キリスト教にとっても聖地である。) 大変に残念なことではあるが、こちらも現在は非ムスリムは立ち入ることが出来ない。外観の美しさを堪能するしかないのが悔しいが、それでもこの優雅さと気品で、エルサレムに来た甲斐があった、といえる。この青いタイルは、ペルシアで焼かれたものらしい。なるほど、エスファハーンの青だ。日陰で休みながら、心ゆくまでこの美しさを楽しんだ。
ここを聖地たらしめている、岩のドーム内部にある聖なる岩などをみることができなかったものの、この美しさは神性を感じさせるに十分だった。(・・・)
神殿の丘を出るときは、モロッコ門の隣にある鎖門から、ということらしい。ここを出ると、アラブのスークとなる。モロッコ旅行以来の久しぶりのスークだ。店もようやく開き始めている。狭い通路と溢れる商品、パンや香辛料の香り、何だか分からない声、全てが混沌としている。その中を漂うように彷徨う感覚が大好きだ。ただ、土産物を売る店がやたらと多いことに気づいた。このスークは生活のためのものではなく、観光客相手のものと化しているようで、少しがっかり。(
・)
ユダヤ・イスラームに続いて、キリスト教の聖地を訪れることにする。キリスト教徒にとってのエルサレムは、イエスが十字架にかけられて息を引き取り、その後に復活した地、ということになるだろうか。
イエスが判決を受け、十字架を背負わされて磔刑の地であるゴルゴタの丘までを辿る道筋が『ヴィア・ドロローサ』(悲しみの道)である。(もっとも、イエスの時代の地面は現在の地面の数メートル下ということだし、この道が最終的に決められたのはほんの数世紀前のことらしいのだが…) この道にはいくつかの留と呼ばれるポイントがあり、それぞれ聖書に記されたイベントに関わる逸話と関連付けられている。
さて、第1留(イエスが判決を受けたところ)には、現在は学校の校庭らしく入ることが出来なかった。次の
(イエスが十字架を負わされ、茨の冠をかぶせられ、鞭で打たれたところ)には『鞭打ちの教会』が建っており、ステンドグラスでその様子をみることが出来る。道筋には『エッケ・ホモ教会』が建っているが、後ほど訪れることにする。
は、イエスが十字架の重みに耐えかねてつまずいたところ。その横のは、聖母マリアがイエスを見たところ。は、クレネ人のシモンがイエスに代わって十字架を担がされたところ。は、ベロニカという女性がイエスの顔を拭ったところ、とされる。(このハンカチにはイエスの顔が浮かび上がり、聖遺物としてヴァチカンに保管されているらしいが、真偽のほどは…) は、イエスが再びつまずいたところ。では、イエスが娘たちに『わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣くがよい。』と語ったところ、とされる。ここで道を戻り、右折し、少し進み、商店の脇の道を登ると、がある。ここは、イエスが3度目に倒れたところ、とされる。ご丁寧に十字架が置いてあり、これを担いで写真を撮るのがお約束らしい。正直に言って、ここまでは一種のテーマパークにいるような感覚だった。道筋にも土産物店が並び、呼び込みも賑やかである。
再び道を戻り、そのまま『聖墳墓教会』へ入る。入り口となる広場は観光客で大混雑している。右手の階段の上が『ゴルゴタの丘』となっており、イエスが服を脱がされた。ただし、祭壇の正面のガラス扉には鍵がかけられ、上手く撮影することが出来なかった。
いったん階段を降り、群集の1人となって、建物に入ってすぐ右手の階段を昇る。ここが、イエスが磔となったゴルゴタの丘だ。子どもの頃に聞いたときは、勝手に人里離れた荒涼たる丘を想像していたが、まさか建物の中、それも階段を10段くらいで昇れてしまうとは… さて、イエスが十字架に釘打たれた場所を示すカトリックの祭壇がである。モザイク画でその時の様子が描かれている。その先にあるギリシア正教の祭壇が、十字架が建てられイエスが息を引き取った場所()、ということになっている。祭壇の下の岩には、十字架が建てられた場所を示す印があり、触れることも出来る。私も触れてみた。別にキリスト教を奉ずるわけではないが、やはり人々の思いが向けられた場所には何がしかの神性を感じる。得難い経験となった。第11留と第12留の間にある祭壇が、聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったところ。ここには悲しみの表情をたたえた聖母マリアの祭壇がある。とにかく人が多いうえに、真剣に祈る人が多いためか人の流れも悪く、上手く撮影出来ない。祈りの場なので仕方ない。
階段を降りたところにあるは、イエスの亡骸に香油を塗ったところ。現在でも多くの人々がこの岩に口づけたり、香油を拭ったり、逆に香油を塗ったりしている。岩に触れてみたが、やはりほのかに油の感触と匂いがあった。
この岩を過ぎたところにある建物が、第14留、ヴィア・ドロローサの終点となっている
である。(復活しているのに墓がある、というのも妙な話だが。) ここに入るために長い行列が出来ており、入るまでに30分ほど待たされた。一度に5人しか入れないようだ。入ってみると、2畳くらいの部屋になっており、墓がそのままになっている。わずか1分ほどで外に出るようにいわれた。
改めて聖墳墓教会を観て廻ることにする。イエスの墓の向かいにがあるが、とりたててどうということもない印象。それよりも、にみな注目している。何故かは知らぬが、『世界の中心』と呼ばれているらしい。さらに奥にいくと、3つの小さな祭壇がある。それぞれ、・・と呼ばれているらしいが、これも謂れがよくわからない。後で調べてみよう。
地下には、336年にこの地に最初の教会を建てた、ローマ帝国の聖ヘレナを讃えるがある。彼女がここでイエスの墓や十字架を発見したそうな。(当時のエルサレムは、既にイエスの時代とは街並みなどが大きく変わっていたらしい。)
さらに奥に行くと、がある。ここは第11留と第12留の真下にあり、ここにある岩にイエスの血が滴ったことで、人類は原罪から赦された、ともいう。(ゴルゴタは、最初の人間であるアダムの墓があったところ、という伝承があるそうな。)
正直に言って、装飾の壮麗さなどはヨーロッパなどにある教会に及ばない。また、ここはキリスト教の各派が管理しているが、互いに仲が悪くすぐに喧嘩になるなど、聖地らしからぬ面も否めない。それでも、このように聖書の記述に沿った情景を再現し、キリスト教徒がそれを信じてここを目指してきた想いの積み重なりから、聖地としての神性を感じることが出来た。
12:30を過ぎ、さすがに空腹なので、LPで"best hummus in Jerusalem"と紹介されていた、第5留近くの
に行くことにした。入ってみると、出来る物はフムスのみということでそれを注文。フムスとは、ヒヨコマメやゴマなどのペーストで、ピタと呼ばれるパンにつけて食べると美味い。フムスのみといいつつ、ちゃんとファラフェル(ヒヨコマメのコロッケ)3個とピタ2枚がついてきた。さて、フムスだが、恵比寿で食べたものよりもやや味が濃く、特にニンニクの辛味が強めか。しかし、歩き回って汗をかいているのでとても美味しい。ファラフェルも、豆のあっさり感が活きているし、油も良いようで、美味。ピタ2枚を食べると満腹そのもの。ダイエットコークをもらって一休み。計25NISを支払った。もう1回行きたくなる、大変にいい店だった。ところで、この周辺はムスリムが多いようなのだが、少なくとも観光客が飲食するのは全く問題なさそうだ。
『ダビデの塔』を訪れるために、ヤッフォ門へ向かう。再び
を往くが、やはり土産物店が圧倒的に多い。Tシャツの品揃えが多いのはいいとして、どこも値札を出していない。つまり、価格交渉をしなければならない、ということだ。交渉に自信がないし、そもそも相場を知らないので、いくらで買ったとしても騙された感が消えないだろう。新市街に行ったときに探してみるか… 途中で水500milを買い、9NISを支払った。ずいぶんと高い。
ヤッフォ門の横にある要塞のような建物が『ダビデの塔』である。紀元前20年にヘロデ王が建てた要塞が基となり、時代を経てエルサレムの主が替わっても使い続けられてきたらしい。現在は、エルサレムの歴史を知る博物館となっている。入場料として30NISを支払った。
まずは上部の展望台からを一望。やはり岩のドームと聖墳墓教会が目立つ。ちょうど時間が来ていたので、15分ほどのフィルムを観た。ユダヤ人が最初にこの地に建国してから、支配者が入れ替わってきた歴史を概観することが出来る。エルサレムの歴史は、征服の歴史ということか? ユダヤ教だけでなく、他の民族の支配者にキリスト教やイスラームの聖地を重ねられ、街を造り変えられ、そもそもの建国者であるユダヤ人は置き去りだった、というのがユダヤ人からみた歴史らしい。
展示内容も、カナン時代に始まり、第1神殿時代、第2神殿時代、…と時代を下っていく。ローマによる支配の後、ユダヤ人はエルサレムに入ることを禁じられ、年に一度の巡礼の折に嘆きの壁に近づくことが許されていただけ、らしい。イエスにはごく簡単にしか触れていないことも興味を引いた。むしろ、ビザンツ時代にエルサレムがキリスト教の聖地として造り変えられたことに重きを置いている。イスラム教にしても、マムルーク朝やオスマン朝によるエルサレムの変遷に重きを置いている。先ほどのフィルムから感じたことを再び感じる。(・)
ここを訪れることで、この地がどんなところなのか、少しだけでも実感することが出来たような気がした。それぞれに言い分があり、それを裏付ける歴史があり、もはやどちらが正しいとか軽々にいえない。神を奉ずるからこそ、争うしかないのかもしれない。結局何をどうしたらいいのかわからない、これを解決できる叡智を身につけたら神に近づけるのか…? エルサレムを歩けば少しは分かるかも、などという考えは甘かったな、…などと考えつつ、カフェでアイスコーヒー(スムージーみたいな甘いもの)で一休み。12NISを支払った。ついでに水750mlを買うと、今度は9.5NISだった。さっきは旧市街ということでやたら高かったらしい。
ヴィア・ドロローサ沿いのキリスト教関係の史跡を観るため、ヴィア・ドロローサを戻り、さらに旧市街の東側の門である聖ステパノ門の脇にある
へ。この教会の地下の洞窟で聖母マリアが生まれた、とされている。(宗派によっては異なるらしい。) 7NISを支払って中へ入る。地下の洞窟にはが飾られている。花の香りがするのが、なぜか聖母マリアに相応しいように思った。
教会の脇にある史跡はと呼ばれ、巡礼者の沐浴や生贄の羊を洗うために使われていたらしい。また、ここでイエスが病に苦しむ人を癒した、という伝承もあるそうな。
旧市街へ戻る途中に、先ほど過ぎた『エッケ・ホモ教会』がある。ここで、イエスを裁いたピラトがイエスを群衆の前に引き出し『看よ、この人なり(ラテン語でいうと『エッケ・ホモ』)』といった、とされているとか。7NISを支払って中へ入ると、いきなり地下へ。ここはローマ時代には貯水池だったらしく、その遺構を観ることが出来る。ひんやりとしているのはいいが、薄暗い上に水が涌いているようで、木製の渡しが滑り易いうえに腐って落ちるのではないか、と心配になる。もっとも、内部にはキリスト教関連の史跡はないようだ。表にある、ヴィア・ドロローサにかかるは、135年にローマがエルサレムを征服した記念に建造した三重の凱旋門の中央部分らしい。
17時に近くなったが、一向に空腹を覚えない。いっそ、ベーグルでも買ってホテルに持って帰ろうか、と考え、旧市街南部のユダヤ人地区へ。途中、
と呼ばれる通りに出た。かつてのエルサレムのメインストリートで、6世紀の地図にもその名があるらしい。現在はリニューアルされて、スークとは異なるお洒落な店が並んでいる。ここで、Tシャツ1枚を39NISで商う店を見つけた。新市街でもっと安いのがなければ、ここで買うのもよかろう。
フルヴァ広場近くに、予想通り、ベーグルを商う店が数軒ある。さらに、観光客向けではないスーパーを見つけた。ここでは、水1.5lを8NISで売っている。何だかもう、旧市街の物価は何も信じられないな… 多少重たいが2本買った。このうえベーグルを持って帰るのも面倒なので、近くの"CoffeeBagel"で、プレーンベーグルにチーズオムレツを挟んでもらって、そこで食べることにした。ベーグルには甘みがあり、香ばしく、美味い。日本のベーグルよりも一回り大きく、夕食としても十分。うっかりプレーンベーグルにもクリームチーズを塗らせてしまったので、チーズがややくどい感じだが、大満足である。ホットコーヒーをつけて33NISを支払った。手持ちの現金がやや心細くなったので、USD28を108.80NISに両替した。
ホテルに戻るために、カルドへ戻り、さらにスークを北上する。途中、黒ずくめのアラブ系の少女と目が合い、いきなり"Hi!"と声をかけられた。びっくりしたが、"Hi!"を返し手を振ると、素晴らしい笑顔をみせてくれた。今日1日の答えらしきものが少しつかめたような気がした。つまり、どの民族でどの宗教を信じようが、あのような子どもが幸せな将来をつかめないようでは何にもならない、ということだ。あの少女に会うことはもうないだろうが、幸せになって欲しい、と心から願う。ダマスカス門へ戻ってきた。朝とは異なり、
にたくさんの店が出て、たくさんの人でごった返している。人混みは苦手だが、やはりこのほうが嬉しい。
ダマスカス門からホテルまでは、LRTを使ってみることにした。1回乗車で6.6NIS, やや高い。乗車後すぐに自分で検札する。1つ先の停留所からホテルまでは距離があるような気がしたので乗り過ごしたら、次の停留所はもっと遠かった。LRTに乗った意味がなくなってしまった。それにしても不便なホテルだなぁ… 18:30にホテルに戻った。ロビーではwi-fiが快適に使える。朝と夕方、ロビーに出た際にiPhoneでネットを使うことにしよう。
夜は、1日の旅日記をつけることにしているが、1日の分量としては新記録かもしれない。(草稿を完成させるまでに約4時間かかった…) 3つの宗教の聖地を一気に巡り、結局頭の中では何もまとまらず、思ったことをそのまま書いているので、とりとめもない文章になっているだろうが、この日記はそういうものなので、お赦しください。
明日は、午前中はベツレヘムへの半日ツアーに参加することになっている。9時にホテルのロビーでピックアップなので、朝ものんびり出来る。午後は新市街に行ってみるかな…
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