Jerusalem

 06:30起床。いつもどおりの朝食を摂って07:30に出発。今日は、旧市街の東にあるオリーブ山と、その周囲にある教会などのポイントを観光する。オリーブ山からの旧市街の見晴らしは素晴らしいとのことだが、治安も思わしくないとかで、LPには『景観を楽しみたいなら早朝に行くべき』とあったので、この予定を組んだ。
 

ダマスカス門
から旧市街に入る。街が目覚め始めている。(
) 
聖ステパノ門
から旧市街を出てオリーブ山方面へと進む。いったん谷を降り、再び登っていくようなきつい道筋だ。途中、左手に
『マリアの墓の教会』
があったので入ってみると、
祭礼
の真っ最中。信者の方に『こちらに来なさい』と合図されたので、しばし拝礼。最後にパンが配られ、信者の方に薦められたので一切れ取ったら、神父さん?に『君は取ってはならない』といわれた。知らぬこととはいえ、無礼を働いてしまい、後ろめたい思いでいったん教会を後にした。
 この近くに
『ゲッセマネの園』
という庭園がある。ここは、イエスが祈りのために頻繁に訪れた場所だそうな。さらに、最後の晩餐を終えた後、ここで血の汗を流しながら祈り続けたという記述もあるとか。現在は古いオリーブの木が8本植えられている小さな庭園だ。
 ここから道はきつい登り坂になる。ひっくり返りそうになるほどの急角度だ。一歩一歩がとても重い。昨年までだったら登れなかったかも。500mほどでようやく頂上についた。


 左手に少し進むと

『昇天教会』
がある。ここは、復活したイエスが昇天した場所だそうな。5NISを支払って礼拝堂の内部に入ると、
イエスが足跡をつけたという岩
を見ることが出来る。ここも観光ツアーや巡礼ツアーがひっきりなしに入ってくるのでいつも満員だ。さて、この教会は、今ではイスラームの礼拝所になっているというのが何とも皮肉な話ではある。そういえば、昇天に関する伝承も似ているような…
 外に出ると、先ほどの登りのせいで全身汗だく。日陰で休み、汗の引くのを待った。そういえば、今日は昨日までよりも暑いような気がする。
 昇天教会を後にして左に行くと、
『主の祈りの教会』
がある。7NISを支払って入る。ここは、イエスが弟子に請われて主の祈りを教えたという場所だそうで、現在は100以上の言語による主の祈りの言葉が書かれたタイルがはめ込まれている。
日本語のタイル
は、主祭壇の左側にあった。場所柄か、世界各国のツアー客がいろいろな言葉で話していた。(日本語を聞くことはなかったが。)


 主の祈りの教会を後にしてさらに左手にいく。右手には、

旧市街の光景
がパノラマになっている。本当に美しい。ここでようやく、旧市街の門の中で唯一閉じられている『黄金門』を目にすることが出来た。ユダヤ教とキリスト教では、終末の日にメシアがここからエルサレムに入る、と伝えているそうな。(そのためか、それを阻むためにイスラーム教徒が門を閉じたという伝承もあるとか。) いつの日か、この門が開くことがあったときは、間違いなく世界中を駆け巡るトップニュースだろうな…
 さらに進み、オリーブ山の頂上にある展望台へ。ここからも旧市街を見渡す。ちょうど太陽を背にしている格好で撮影にも好都合。岩のドームの金色に輝く屋根が、薄茶色が基調の旧市街の中で特に映える。手前には墓地が広がっている。(

 さて、オリーブ山は宗教的にも重要な意味を持っている。ユダヤ教では、終末の日にメシアがオリーブ山に立ち、黄金門からエルサレムに入る。そして、オリーブ山から神殿の丘まで鋼鉄の橋と紙の橋が渡され、復活した死者はいずれかの橋を通る。神を信じない者は鋼鉄の橋を選び、神を信じる者は紙の橋を選ぶ。しかし、鋼鉄の橋は途中で崩れ、紙の橋を選んだものは永遠の命を得る…そうな。別に終末思想を奉ずるわけではないが、そんなことを考えながら旧市街を見ていると、どうしても目が神殿の丘に行きがちになる。


 オリーブ山を降り始めた。途中にある『預言者の墓』という地下墳墓に入ってみたが、真っ暗で何も見えないのですぐに出てきてしまった。登り同様に急な坂で、足を滑らせてしまいそうになる。途中の右手には

『主の泣かれた教会』
がある。ここは、イエスがエルサレムの滅亡を予見し涙を流したという記述に基づいて建てられた教会で、涙の形をしている。ここもちょうど祭礼の最中だったので、今回は中に入らなかった。
 さらに降りると、ロシア正教の教会である
『マグダラのマリア教会』
がある。輝く黄金色の玉ねぎがエルサレムでは一際目立つ。(まぁ、私にとっては見慣れた形でもあるが。) 火曜と土曜の10時から12時までしか入れないということで、ちょうど入れるときに来たのも何かの縁ということで入ってみた。内部の祭壇はまさにロシア正教の様式で、イコンと木製のドアがある。ここは、復活後のイエスに最初に会いピラトによる裁判の不当性を訴えピラトを追放させたマグダラのマリアと、ロシア皇帝アレクサンドル3世の母マリアを記念した教会なのだそうな。
 さらに進むと、
ゲッセマネの園
に戻ってきた。再び園に入り、その横にある『万国民の教会』に入った。ここは福音書を記したマルコの家だったそうで、主祭壇の前に
イエスがその上で祈ったという岩
が残されている。モザイクも、
『苦悶するイエス』
『ユダの接吻』
『イエスの逮捕』
など、ここで起きたことを表している。
 先ほど無礼をしてしまった『マリアの墓の教会』を再度訪れた。今は観光客も自由に出入りしているようだ。ここは、聖母マリアが昇天した場所ともされており、階段を降りた右手の
礼拝堂
聖母マリアの墓とのこと。ここも行列が出来ているうえ、ロシアからの観光ツアーのガイドと思しきおっさんがしゃべりながら勝手に列を仕切り、他の客をグループの後にしようとしている。気づかれないように横からおっさんの前に廻りこむことが出来た。
聖母マリアの墓
もイエスの墓と同様に祭壇になっている。気のせいか、女性が多く拝礼していたように思った。


 旧市街の城壁沿いの道を南へ歩いた。右手には

黄金門
、左手には旧市街とオリーブ山の間に横たわる谷が見える。ここは『ケデロンの谷』というところで、最後の審判の折にここから死者が復活する、とされているらしい。というわけで古くから墓地になっているそうな。荒涼とした風景とこの伝承があいまって少し不気味な気がする。もっとも、暑さがすぐにそんな気分を消してしまうのだが。(

 なお、オリーブ山の斜面は一面の墓地となっている。復活に備えてのことなのだろう。この墓地は相当にお高いのでしょうね…


 坂を登ると旧市街の門へ。

『糞門』
という、何だか入りたくない門だ。かつて、ここから住民の排泄物を運び出していたそうで… 一面、とても便利な門で、すぐに嘆きの壁に出られる。ちょうど11時をまわったところで、昼食を摂る店を探すことにした。今回は、LPで薦められている"Amigo Emil"に行くことにし、再びスークを抜けて店の前へ。少しずつ方向感覚がつかめてきた。
 内装も綺麗だが、値段もそれなり。クレジットカードが使えるということなので入ることにした。musakhanという料理と炭酸水、デザートにバクラヴァを注文。
musakhan
は、トマトやスパイスで煮込んだ鶏肉や玉ねぎをベドウィンの薄いパンでロールした春巻きのようなもの。とにかくパンが薄いわりに固く切るのも噛むのも一苦労。しかし、味はまろやかで美味い。中東の料理はどれも意外に優しい味がする。バクラヴァも中東のお菓子で、シロップ漬けのミルフィーユといったところか。見かけは小さいがとても甘く、疲れて汗をかいていると特に美味い。計75NISを支払った。これまでのところ、食事選びが上手くいっている。


 午後は、旧市街南部の『シオンの丘』周辺を観光するために、

『シオン門』
(決してジオンではありません)方面へ。途中のスイーツ店で、きちんと包装された中東のお菓子を見つけた。パッケージもヘブライ語でさっぱり読めないので、オフィスへのお土産として購入。USD50を192.50NISに両替した。パレスチナを前面に出し、あまつさえサダム・フセインの紙幣を貼っているような店だったが、レートはまずまず。
 シオン門を出るとそのままシオンの丘になっている、まずは『ダビデ王の墓』へ。建物の中の一室にある、ダビデの星が記された布に覆われた
石棺
がダビデ王の墓ということになっていて、ユダヤ教徒たちが一心に祈っている。ここまで来ると、ユダヤ教の知識がないとピンと来ないというのが実感。
 その近くには『最後の晩餐の部屋』がある。あの最後の晩餐が行われた部屋だそうな。ダ・ヴィンチの絵で有名だが、実際の部屋は何にもない殺風景なものだった。ちなみに、
1階の広間
ではなく、
2階の奥の部屋
が『その部屋』らしい。もっとも、この建物自体、十字軍が建てたものだそうで、この部屋で実際に最後の晩餐が行われているはずがないのだが、どういうことなのだろう?
 この近くにある
『マリア永眠教会』
へ。ここがエルサレム最大の教会らしい。この地下には、木と象牙で作られた、
永眠するマリアの像
が安置されている。さらにいえば、ここが聖母マリア昇天の地という伝承もあるとかで、何だかなぁ…(イエスの死後の聖母マリアに関する記述がないそうで、いろいろなところにいろいろなものがあるのだそうな。) いろいろ見ているうえに暑さもあり、さすがに有難みを感じなくなってきた、というのが正直なところではある。
 それでも、『鶏鳴教会』には行ってみる。再び坂を降る。後がきついなぁ… 10分ほど降ってようやく
鶏鳴教会
に着いた。7NISを支払って中へ入る。ここは、ゲッセマネの園で捕らえられたイエスが連行され、地下の牢獄で一晩を過ごしたところだそうな。また、聖書にある、弟子のペテロがイエスの予言どおり、鶏が鳴く前に三度『イエスのことを知らない。』といったのもこの庭だとか。教会の建物は真新しいものだが、
地下の牢獄
は当時のオリジナルらしい。本当にここに投獄されていたのだろうか…? 全てを予見していたとされているが、なぜ逃げなかったのか、どんな想いだったのだろうか。
 建物の横に
古い石段
があるが、これは約2,000年前のものだそうで、イエスが歩いた石段とされている。


 旧市街へ戻るために再び登る。汗が止まらない。途中、タクシーの運転手に声をかけられた。断ったが、どうも話すのが好きらしく、いろいろ話しかけてくる。旧市街の城壁の上を歩くのがお勧めだそうな。疲れていてまともに相手できなかったが、いいやつだった。(でも、この見極めが難しいんですよね…)
 14:30になり、とにかく疲れたので、一休みするためにシオン門から旧市街に戻り、"CoffeeBagle"へ入ってアイスコーヒーを注文。ココアかと思っていたが、コーヒーにバニラを入れてスムージー化したものだそうな。さて、隣はお子さん4人を連れた家族連れで、泣いている赤ちゃんをお父さんがあやしているが一向に泣き止まない。試しに笑いかけたりしてみると、意外にもすぐに泣き止んでくれ、お父さんが驚きながら礼を言ってくれた。『子どもいるのか?』というので、いない、と答えると、『じゃあ次は君の番だな。40歳を過ぎているのでもう遅い? そんなことはない、すぐ結婚して子どもをもてるよ。』と力説された…


 15:30に店を出て、これまで歩いていない、旧市街の南西部にあたるアルメニア人地区へ。といっても、ここは本当に何もない。最大の見どころである聖ヤコブ大聖堂も閉まっている。ただ、アルメニア語の看板や掲示物が懐かしかった。すぐにヤッフォ門へ戻った。(


 16:30近くになり、夕食を考えるが、やはりフムスかベーグルしか思い浮かばない。試しに"Abu Shukri"に行ってみることにした。途中、水がなくなってしまったので、アラブ人が経営するスーパーマーケットで水500mlを買うと、なんとたったの2NIS. もう何がなんだか… ここで仕入れて、旧市街で5NISで観光客相手に売ればけっこうな儲けになるのでは…
 アザーンの流れる中を歩いていく。途中、右手に聖墳墓教会を見かけたのだが、アザーンもそちらから流れてくる。行ってみると、なんと教会の隣にモスクがあることが分かった。これはまた挑発的なロケーションで… 
掲げてあるメッセージ
もなかなか。
 
"Abu Shukri"
はまだ営業していたのだが、LPには16時までとあるし、食べるべきか迷う。と、ここでフムスを食べておいて、夜に空腹になったときに備えてベーグルを買っておけばいいんじゃね?という天才的なひらめきがあり、店に入って
フムス
を注文。やはり美味い。ただ、これだけで満腹になってしまい、ベーグルは取り止め。ダイエットスプライトをつけて計25NISを支払った。ところで、お釣にもらった20NIS紙幣のダビデの星が切り取られていた。対立は根深い。


 17時を過ぎ、少々早いがホテルに戻ることとし、ダマスカス門方面へ。途中、アラブ人経由の

スイーツ店
を見つけた。
バクラヴァ
が美味そうに見えたので、夜食として3つ買い、6NISを支払った。ついでに近くの店で水1.5lを6NISで買う。アラブ人経営の店はやたら安い。ようやく感覚をつかめてきた。17:30にホテルに戻り、バクラヴァをつまみながらこの日記を書いている。ところで、オリンピック中継を連日観ているが、日本は本当に参加しているのか?


 明日はエルサレム滞在の最終日。当初に予定していた主だった観光ポイントは全て廻ったので、明日は旧市街と新市街を行き来しながらぶらぶらする。聖墳墓教会にもう1回行ってみるのもよかろう。毎年のことだが、早くも後半にさしかかっていることに驚きを覚える。


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