07:00起床。朝食を摂って08:00に観光開始。今日はエルサレム滞在の最終日、must doもないので、旧市街と新市街をぶらぶらと歩いてみる。ダマスカス門から旧市街に入る。ほとんどの店がまだ開いていない。(
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前回は人混みで満足に見られなかった聖墳墓教会へ行くことにした。予想通り、まだほとんど誰もいない。ゴルゴタの丘に登り、3つの祭壇と対面する。誰もいない静寂の中で見つめると、先日よりもいっそう強い印象を受けた。特に、聖母マリアの像が浮かべている悲しい表情には心を打たれる。十字架が建てられた岩にもゆっくりと触れることが出来る。銀を基調とした祭壇の装飾も美しい。やはりこの時間に再訪して本当に好かった。イエスの墓には既に行列が出来ていたので、こちらは見送ることとし、聖墳墓教会を後にした。(・・・・・・・)
旧市街を当てもなく彷徨う。入り組んだ路地に誘い込まれるような感覚を味わう。角を曲がる度に現れる光景がとても面白い。わずかに開いているドアをのぞいてみると、パンを焼いていたり、TVを観ていたり、といった日常の光景。(
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時々、キリスト教徒の巡礼のグループとすれ違う。皆一様に讃美歌を唄いながら進んでいく。周囲の土産物店はおろか、住民や観光客に一切目を向けないその姿は少々奇異な気がする。しかし、彼らにとってのエルサレムとは、イエス受難の地という事実だけなのかもしれない。
これまで訪れていない、旧市街北東部のムスリム地区を歩いてみることにした。スークを抜けると、静かな住宅街。ただし、看板や壁の落書きがアラビア語であり、メッカのポスターである。そのまま『ヘロデ門』にたどり着いたので、そこから南への道筋を取った。なぜか肉屋が数軒並んだところを過ぎると再び住宅街。道筋が下がり始めると、が姿を現す。とても美しい。(・・・・)
ヴィア・ドロローサに着いたので、そのまま嘆きの壁へ向かった。手荷物検査の係官が『日本、メキシコに負けちゃったね。3位決定戦、応援するよ。』といってくれた。嘆きの壁の前の広場では、今日もユダヤ教徒たちが一心に祈っている。右手のスタンドの人が、願い事を紙に書いて嘆きの壁にはさみこむことを案内してくれた。異教徒の願いも叶えてくれるのだろうか。紙を壁にはさみこみ、壁と対面する。この壁は、こうして私が立つまでにどれだけの人々の想いを受け止め、これからどれだけの人々の想いを受け止めていくのだろうか。とても重い存在である。(・)
11時を過ぎたところで嘆きの壁を後にする。途中のジュース屋でオレンジジュースを飲もうとして、昨日のダビデの星が切り取られた20NIS札を出したら受け取ってくれない。困ったことになった。受け取ったときに抗議すればよかったが後の祭り。こんなことをされると、いくら美味くとも再訪する気にはなれない。
ヤッフォ門を出てマミラ・モールを突っ切り新市街へ。『地球の歩き方』に出ていた中級の中東料理店に行くつもりだったが、なくなってしまっていた。食べたいものを考えるとやはりベーグルになってしまうので、近くの"Holy Bagel"で卵サラダのベーグルサンドとホットコーヒー。ベーグルに甘みがあり、もちもちしながらもあっさりしていて美味しい。28NISを支払った。ついでに、この近くの銀行で、問題の20NIS紙幣を取り替えてもらった。
見逃していたイスラエル博物館に行くことにするが、やはりバス路線が分からない。停留所にバス路線図を掲示してくれればいいのだが… タクシーはトラブルの種と分かっているが、仕方ないのでタクシーに乗る。メーターを使え、といったのに、10分少々走っただけで35NISも取られた。やはりタクシーは大嫌いだ。もっとも、距離ばかりでなく起伏もあるので、徒歩では辿り着けないようなところではあったが。
50NISを支払ってイスラエル博物館に入る。最大の見どころは、
である。死海写本とは、1947年に発見された、紀元前3~2世紀のヘブライ語の聖典である。いろいろと想像やロマンをかきたてるものではある。発見の経緯や副葬品、写本の収まっていた壷などをみた後に、実際の(多分レプリカ)を見ることが出来る。さっぱり読めないが、ヘブライ語で書いてあるらしい。今さらながら、ヘブライ語の生命力に驚く。
死海写本の展示館の横には、第2神殿時代のがある。やはり目を引くのは神殿の丘にある神殿。これがユダヤ人の思い描くエルサレムの理想系なのだろうか…?
別の建物に入り少し休んでいると、西欧系の男性と日本人の女性のペアに声をかけられた。昨日、預言者の墓で私を見かけたのだそうで、そのときも日本人が1人でいることを不思議に思っていたのだそうな。そんなに大それたことはしていないのだけど… なお、ここまでタクシーで来て40NISを取られたそうな。
ユダヤ教とユダヤ民族誌に関する展示が充実していてとても面白い。各地のユダヤ人が伝えてきた祭具や道具、本などが展示されている。ここでもユダヤ教とヘブライ語の生命力に驚かされる。本なども綺麗な字とイラストで作られているし、祭具や道具にもヘブライ語が彫られているものが多い。文化と伝統の継承に並外れた努力をしていたことがよく分かる。あちこちの国の博物館でもユダヤ人に関する展示を見たことがあるが、ここではユダヤ人こそが主役だ。(・)
美術等には西洋絵画やモダンアートが展示されている。絵画に詳しくないので、こちらのコレクションにはこれといって目を引くものはないように思われた。
インフォメーションでバスでの帰り方を訊くと『7番が便利なんじゃない?』との頼りない答え。バス停に行くと、確かに7番はCity Centerを経由するとは書いてあるが、どのあたりなのかがよく分からない。10分ほどで7番が来たので乗る。6.6NISを支払った。次の停留所は『クネセット』、国会議事堂の近くだ。ここが現代イスラエルの政治の中心(イスラエルは首都をエルサレムとしているが、国連含む世界各国はそれを認めていない。)ということだ。たくさんのイスラエル国旗に囲まれて巨大な建造物がいくつも見える。非現実的な光景だ。
街中に出ると渋滞に巻き込まれてなかなか進まない。15分ほどで多くの人が降りたので、ここがCity Centerかと思い降りてみる。通りの名前から、マハネー・イェフダー市場の近くであることが分かった。市場を見物して、LRTに乗り、再びマミラ・モールへ。途中の両替所でUSD50を193NISに両替した。ヤッフォ門から旧市街へ入る。(
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17時に近くなってきた。嘆きの壁と岩のドームを見納めることとし、ユダヤ人地区へ。観光客がよく通るところは土産物屋ばかりだが、1本違う通りに行くだけで食料品や日常の生活用品を売る店ばかりになり、あっという間に店が消えて住宅街になり、そして住む民族までもががらりと変わり、街の雰囲気も大きく変わる。この狭い空間でこれだけの表情の変化があるということが驚きだった。
を見渡せる広場に行く。と、嘆きの壁の前の広場で何かの集会が行われているようで、ユダヤ人がたくさん集まり、旗が林立している。ひとしきり演説が行われた後に音楽がかかり、一部のグループは気勢を上げている。集会には近づきたくないのだが、まぁ遠目にみているだけなら大丈夫だろう。今日も岩のドームの黄金が美しい。嘆きの壁も人々の想いを受け止め続けている。この光景が続くことが望ましいことなのか、もはや分からないが、とにかく平和で幸せであって欲しい。
夕食は、”CoffeeBagel"でオムレツのベーグルサンド。ここ数年の旅では、これを食べなければ!とか、いい物を食べなければ!というような気持ちが薄れている。旅においても自由でありたい。今の私にとっては、このベーグルサンドで十分に満足だ。
エルサレムのスークも見納めだ。この喧騒と、時々鼻をつく香辛料の香りとに包まれて、物売りの呼びかけを振り切りながら彷徨う感覚とも当分お別れだ。18時に近くなると多くの店が店仕舞いをしている。営業時間、短すぎやしませんか? それともラマダーンだから、だろうか? 昨日も立ち寄ったスイーツ店で、スポンジケーキの蜂蜜漬けにナッツを乗せたようなもの3切れを購入し、6NISを支払った。(現在、それをつまみながら日記を書いています。美味いです。) から外に出る。名残は尽きない。
ホテルに戻ると、無料でジュースを振舞っている。昨日もやっていたが、疲れている身にはたまらない。このジュースを飲みながら、iPhoneでwi-fiを使ってTwitterやFacebookにアクセスし、部屋に戻った。
明日は、バスで北部のガリラヤ湖畔の街ティベリヤへ向かう。観光のための時間を確保するには、とにかく早くティベリヤに着きたいので、6:30に朝食を摂ってさっさとチェックアウトするつもりだ。
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