Moscow

 0700起床。今日はチェックアウトし、観光をした後に、寝台列車でペトロザヴォーツクに移動する日程である。まず、荷を整えた後に朝食を摂る。今日も中国人観光客で大混雑。ピアノの生演奏が入っていて、なかなかに上手なのに、誰も聴いていないようにみえるのが少し可哀想ではある。演奏の手が止まった時に軽く拍手をすると微笑んでくれた。0900にチェックアウトし、クロークに荷を預けて外出。
 今日はモスクワの中心部を歩き回ってみたい。まずは地下鉄でプロシャーチ・レヴァリューツィ駅へ行き、そこから地上に出て歩き始める。この辺りの建物はバロック様式のような豪華なつくりでリニューアルされており、壁や装飾が本当に美しい。(

) そのままルビヤンカへ出る。旧KGB本部もリニューアルの真っ最中だ。リニューアルに携わった労働者が機密保持のために全員埋められる…なんてことがありませんように。地下街へ入り、ミャスニーツカヤ通りへ出る。曲がりくねった通りを、建物を見物しながら北上する。(
) 途中に、
中国風の奇妙な建物
がある。昔、中国の有力者がモスクワを訪問した折に建てたものだそうな。ほどなく並木道と交差したので、並木道を左に辿っていく。木々の緑が美しいが、今日も風を少々冷たく感じる。
 適当に、大通りに出たところで左に曲がり、クレムリン方面を目指す。途中、歩行者天国となっている
カメルゲルスキー横丁
に出たので、右に曲がる。この辺りに雰囲気の好いカフェやレストランがいくつもあるらしいので、好いところがあれば昼食を摂るつもりでいた。しかし、突然の驟雨に遭ったので、慌ててスターバックスに避難する。30分ほどですっかり止んだので、また歩き始める。そういえば、この辺りに"ZEN CAFE"というスタバもどきのカフェがあったような記憶があるのだが、なくなってしまったのかな。何となくピンと来る店がなかったので、またも『アホートヌィ・リャト』のフードコートのロシア風ファストフード店で、カーシャ・蜂蜜のブリヌイ・ペプシコーラの昼食(180P)にした。


 午後は、まずノヴォデヴィッチ修道院に観に行くこととし、スポルチーヴナヤ駅へ。8年前、駅から修道院までの道に迷った記憶があるが、当時の記憶どおりに右へ歩く。以前は古ぼけた活気のない集合住宅街という印象だったが、店が増えて活気が出ているように思った。10分ほどで修道院に行き当たった。坂を降り、

公園の池
に出る。池の向こう側に立ち並ぶ高層ビル街とのコントラストが印象的だ。池を挟んで
修道院
を眺める。チャイコフスキーが『白鳥の湖』の構想を得たという、この風景を観たかったのだ。水面と修道院の組み合わせが静かに美しい。
 修道院の中には入らず、再び駅へ戻り、今度はクレムリンからバリシャヤ・ニキーツカヤ通りへ出るために、ビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナ駅へ。ここはクレムリンへの入場口にも近い。予想通り、クレムリンに入場するためのKACCAにも入場口にも大行列が出来ている。もちろん、中国人観光客もたくさんいる。本当に、中国人は観光ポイントにはたくさんいる。英雄都市の記念碑と無名戦士の墓に黙祷。英雄都市とされている中には、キエフのようにロシアではなくなってしまったところもあるのだが、英雄都市としてはそのまま残されているらしい。ソヴィエトを構成した15共和国の旅という目標を達成したら、英雄都市のオベリスクを巡る旅にでも出てみますかね。


 バリシャヤ・ニキーツカヤ通りへ出て歩き始める。この辺りの建物も美しいが、

チャイコフスキー記念モスクワ音楽院
がここのランドマークだろう。いつか、ここでコンサートを聴いてみたいものだ。再び並木道へ出たので、木陰のベンチで一休み。
 ここから左へ入り、
ノーヴィ・アルバート通り
へ出る。多くの自動車が行き交う幹線道路だ。道筋には、同じ形をした4棟の高層ビルが並んでいる。子どもの頃に読んだ『今日のソ連邦』で、『社会主義の象徴』として紹介されていたことを覚えている。市内の建物がバロック風にリニューアルされている今、その古臭さが際立ってしまっている。
 せっかくなので、観光客向けの目抜き通りである
アルバート通り
に出てみた。観光客向けの土産物店やカフェがたくさんある。これはこれで安心するのも事実。市内のあちこちにあった『ショコラードニッツア』に入り、コーヒーとココアを混ぜたアイスフロート(220P)で一休み。甘さが心地好い。
 今日の観光は1730をタイムリミットとしている。モスクワの最後は、やはり赤の広場と聖ワシリー寺院だろう。再びクレムリンまで歩き、赤の広場へ。と、今日はなぜか半分以上が封鎖されてしまっている。中で何か建てているので、イベントがあるのだろうか。しかし、西に傾き始めた陽に照らされた聖ワシリー寺院は、やはり美しかった。15年前、初めての一人旅で、初めて訪れたのが聖ワシリー寺院と赤の広場だった。つまり、ここは、私の旅の原点である。原点に立ち戻り、改めて旅の面白さと厳しさを実感する。いつか、必ず、またここに戻ってこよう。(


 軽めの夕食を摂ることにし、またもグム内の『スタローバヤNo.57』へ。

グムの中
もたくさんの店が入り、
噴水
まであったりして、本当に豪華になった。今日の夕食は、ビートのサラダ・挽肉のブリヌイ・ジャガイモのヴァレニキ(ペリメニによく似た、水餃子のような料理)・ゆで卵とホウレン草のピロシキ・プラハ風チョコレートタルトにラズベリー(?)のジュースで330Pを支払った。どれも美味しかったが、一品ほど多かったようで、少しずつ残ってしまった。
 これでモスクワ観光に区切りをつけて、移動に集中する。まずはホテルに戻って荷物を取るためにパルチザンスカヤ駅へ。駅へ着くと、すれ違う人が濡れた傘を持っていたり、ずぶ濡れになっていたりする。嫌な予感的中、今日も雷が鳴るような夕立である。傘もほとんど役に立たない中をいったんホテルに戻る。荷物を受け取り、列車内で使うものをバックパックに移し、ついでにEUR130を5,460Pに替えておく。1850まで待っても止む気配もないので、諦めて驟雨の中をパルチザンスカヤ駅まで。今回の旅から使っているハードタイプのスーツケースに防水機能がどれだけあるだろうか… クルスカヤ駅を経由し、コムソモリスカヤ駅へ。モスクワの地下鉄は、人の動線設計がとてもよく、人の流れが交錯することがほとんどないのは素晴らしい。東京の鉄道も見習っていただきたいが、店を造ることしか頭にないみたいだからなぁ… 駅を出ても雨が降っている。そのままレニングラード駅へ。1920に
駅の構内
に入ることが出来た。


 さて、この駅はリニューアルされたばかりのようで、何もかも真新しい。饐えた雰囲気もなく、これなら安心して待つことが出来る。ただ、店もなく、自動販売機で水などが売られているだけ。トイレは地下に1箇所あるだけだ。もともと、駅の敷地面積が広くないのかもしれない。水を自動販売機で買い、2030の出発を待つ。と、ここでも中国人の観光客団体。まさか、ペトロザヴォーツクに向かう列車に乗り合わせることになるのだろうか…
 2000,

掲示板
に、乗車予定のペトロザヴォーツク行きの列車番号018のプラットフォームが表示されたので、
列車
へ向かう。駅に改札はなく、列車の各号車の
搭乗口
に係員が立っていて、ここで切符とパスポートのチェックを行う。10号車の座席番号15番が私の席だ。今回は、2人一部屋の
個室寝台
である。なかなかに居心地もよさそうだ。パンや水なども用意されている。太ったロシア人のおじさんが同室だった。
 予定通り、2030に列車が動き始めた。さらばモスクワ、また来る日まで。新聞や車内誌、歯ブラシなどのアメニティまで置いてある。新聞は靴の中に入れて靴を乾かすために使える。メニューが置いてあり、夕食か朝食のいずれかが提供されるらしい。朝食を選択し、カロリーの低いほうからチーズ盛り合わせ・オートミールのポリッジを選択。レストルームが汚れる前にさっさと歯を磨き、着替えておく。コンセントも使えるのでiPhoneを充電しておく。
 車窓を眺める。森と平原、小さな街が過ぎていく。当たり前のことだが、この広いロシアの大地には人が住み、それぞれの生活を営んでいる。列車の旅は、国の中に人が広がって生活を営んでいることを再認識させてくれる。2230頃、列車の揺れに誘われるように眠った。

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