0600起床。同室の女性は寝ているのか起きているのか分からないが、出来るだけ注意を引かないように身支度を整える。0630に係員が起こしに来たが、その時には既に起きていたようだ。特に会話もないまま、到着を待つ。
0705に
に到着。この駅も改装の真っ最中らしく、予想以上に清潔感がある。タクシーの客引きをかわし、駅の地下にある地下鉄の駅へ。サンクトペテルブルクの地下鉄はチャージできるICカード乗車券を導入しているとのことだったのでそれを買おうとしたが、例によって窓口のおばちゃんが売ってくれず、諦めて1回分の乗車券であるジェトン(金属製のコイン)を購入。そのまま改札に通して乗ろうとするが、荷物が大きいためか、上手く自動改札を通れず、ジェトンを飲み込まれてしまった。自動改札の横に、英語の案内が掲げられている自動販売機があったので、改めてICカードを買えるかも…と思いそちらに行ってみると、なぜか画面表示はロシア語のみ。こういう中途半端なロシアが、私は大好きです。それでも、ICカード乗車券を買うメニューはどうやら推測できたので100Pを入れてタッチすると、無事にICカード乗車券が出てきた! そのまま改札でタッチするが、またもダメ。もしかしてチャージされていないのでは?と思い、またも窓口に行き、おばちゃんにカードと50P札を出すと、『もう10Pよこせ』という仕草をするので10Pコインを出すと、60Pをチャージしてくれた! これで改札に行くと、問題なく入場することができた。世界の地下鉄のIC乗車券を集め始めているので、いい土産が出来た。(コレクションとしては、上海・台北・バクー・トビリシがあります。その他、エレヴァンのジェトンと、モスクワの10回券を持っています。)
さて、サンクトペテルブルクの地下鉄には、驚くべきことに駅名などの案内表示に英語が併記されている! これは大きな進歩である。ドストエフスカヤ駅で乗り換え、プロシャーチ・ヴォススターニヤ駅で下車。0810に本日の宿である『ホテル・オクチャーブリスカヤ』に到着した。荷物をクロークに預け、ロビーで一休みして、0845に外出。
地下鉄の料金が1回当たり28Pらしいので、プロシャーチ・ヴォススターニヤ駅で100Pを追加でチャージし、地下の通路でつながっているマヤコフスカヤ駅へ。赤のモザイクで装飾されている、なかなか前衛的な駅だが、なんとここではホームドアが導入されている! といっても、全通式の真っ黒のドアで、列車の到着も分からない代物ではあるが、導入されていること自体が素晴らしい。次のガスチーヌィ・ドポール駅で下車。(サンクトペテルブルクの地下鉄は、観光ポイントを微妙にずれて走っているので、観光にはやや使いづらい。)
地上に出て、まずはカフェでコーヒーとケーキの朝食。特に疲れを感じていないことが心強い。ところで、
の横では、郊外の観光ポイントへのエクスカーションを盛んに呼び込んでいる。英語ガイドによるツァールスコエ・セロ行きのエクスカーションもあったので、1,900Pで申し込んだ。1400にここから出発とのこと。ツァールスコエ・セロ(『皇帝の村』の意)は、ペテルブルクの南約25kmにある村の名で、エカテリーナ宮殿があることで有名だ。特に、このエカテリーナ宮殿は、最近『琥珀の間』と呼ばれる、琥珀で装飾された部屋が再建され、観光客の人気を博している。しかし、特に夏は大混雑で、個人で行っても入場できないリスクがあるので、このようなエクスカーションに申し込んだほうが確実だ。(なお、ツァールスコエ・セロは、ソヴィエト時代に『プーシキン』と改名されたため、現在は両方の名前が混在しているような状態。エクスカーションの呼び込みは『プーシキン』といっていた。)
ネフスキー大通りを宮殿広場に向けて歩く。15年ぶりのサンクトペテルブルクだ。当時は、天気は曇りがちで肌寒く、通貨危機で店は閉まっていて、体調も悪かったこともあり、陰鬱な印象だったのだが、いまや建物は綺麗に蘇り、店も次々にオープンし、観光客が行き交う、華やかな街になった。どの建物も豪華さを競っているかのようで、目を奪われる。(
・・・・・) 14番地にロシア語のが残されている。第二次大戦当時、爆撃時に通りのこちら側が危険であることを警告したものだそうな。
そして、宮殿広場に着くと、ミントグリーンの壁のエルミタージュ美術館が現れる。その正面にある旧参謀本部と豪華さの競演である。何かもう、凄いなぁ…という感想しか浮かばない。しばし呆然。(・・・)
宮殿広場を後にして、イサク聖堂を目指し歩き始める。どの建物も本当に壮麗だ。陳腐な表現だが、豪華とか壮麗とかいう単語しか浮かばないのだ。そして、
が見えてくる。これまた大きな建物だ。モスクワもそうだったが、建物一つ一つがやたら大きいので、なかなか遠くの景色が近づいてくれず、気が付かないうちに疲れが溜まる、ということになる。気をつけねば。
運河沿いを歩きながら建物見物。(・) どれも宮殿にみえてくるし、実際に貴族の宮殿だった建物もある。サンクトペテルブルクはロシア皇帝を頂点とした宮殿建築の街ということだろうか。であれば、エカテリーナ宮殿だけでなく、もう1つの頂点であるペテルゴフにも行ったほうがいいかな、と思い始めた。ペテルゴフは、ペテルブルクの南西約30kmにあり、ピョートル大帝の大宮殿と、様々な噴水を有する庭園で有名なところだ。
運河沿いを歩くと、『血の上の救世主教会』に行き当たる。この教会はロシア伝統のネギ坊主様式だが、ここサンクトペテルブルクでは、かえって周囲から浮いてしまっているような気もする。(・)
混雑する前に早めに昼食を摂ることにするが、周囲に適当な店もないので、何となくチェーン店っぽい『スタローバヤNo.1』に入る。ここも、好きな料理を選んでいくカフェテリア形式だ。コールスローサラダ・何かの壷焼きに見えるもの・パン・ケーキで213Pを支払った。さて、壷焼きに見えたものは、魚・米・野菜を煮込んだスープのようなものだった。まぁ標準でしょう…と簡単に言うが、ロシアで『標準』の食事を簡単に出来るようになっていることに驚いている。
先ほどのエクスカーションブースに立ち寄り、明日の英語ガイドでのペテルゴフ行きエクスカーションを2,300Pで申し込んだ。1300出発とのこと。これで、明日の午後も郊外バスツアーということになった。サンクトペテルブルクの観光名所を削ることになるが、止む無しである。
ガスチーヌィ・ドポールをうろついてみる。ここは屋内型のショッピングセンターで、中庭(出られないが)を建物が囲んでいる形になっている。といっても、観光客向けの店はほとんどないようだ。トイレを無料で使えることは大きなメリットである。
1350になったので、先ほどのエクスカーションブースに行き、乗車するバスの番号を教えてもらい待つ。が、なかなか来ない。バス3台くらいしか停車できない、しかも一般の車も入ってくるところでよくもまぁ観光ツアーを扱うものだ。1410にようやくバスが来たので乗車、出発。
ガイドさんはサンクトペテルブルクの通りなどを説明してくれるが、…すみません、眠ってしまいました。30分ほどで目を覚ましたが、まだ車中。1500に、ツァールスコエ・セロに到着。観光バスのツアー客がたくさんいる。ほどなく、青い壁が美しいエカテリーナ宮殿の前へ。こちらの豪華さはまた桁違いですね…(
・・)
宮殿の中へ入ると、いきなり大広間。彫刻・絵画・鏡などがきらびやかな部屋だ。キジ島とは全く違う意味で、凄い、としか言いようがない。何というか、言葉に出来ません。そのような部屋をいくつか通った後に、有名な『琥珀の間』がある。壁のモザイクや彫刻、額縁にいたるまで琥珀で造られた部屋だ。琥珀の色合いを上手く活用し、そこに造形を加えていく、気の遠くなるような作業が思われる。これは観に来た甲斐があった。他にも、絵画の間や、緑の壁の美しい食堂などを通り、1600に宮殿の外へ。(・・・・・・・・・)
この後、宮殿の庭の観光へと続く。森や池や小川、建物や彫刻が配されて、確かに美しく心地好いのだが、正直、観光疲れがしてきたのも否めない。ツァールスコエ・セロの美は、観る者を圧倒してしまう。(・・・・)
1800に再びバスに乗り、サンクトペテルブルクへ。途中渋滞があったものの、1910にガスチーヌィ・ドポールで解散。そのまま地下鉄でホテル近くまで戻り、夕食を摂れそうな店を探すがなかなか見つからない。結局、ここにもあった『スタローヴァヤNo.1』で、ボルシチ・ピロシキ・グアーシュ(バターライス添え)・ケーキにジュースで259Pを支払った。味は悪くないので満足。
ホテルに戻り、クロークから荷物を受け取ってようやくチェックイン。登録のためにパスポートを翌朝まで預かるというあたり、まだ古いシステムのホテルであることが分かる。割り当てられた4026号室には空調もwi-fiもないが、バスタブがあるのが有り難い。2日分の汗を流し、2日分の日記を書いておく。
明日は、午前中にネフスキー通り沿いの貴族の宮殿を観光し、午後はペテルゴフへ。もう、旅も終盤である。
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