Saint Petersburg

 0730起床。今日は、1300からエクスカーションツアーでペテルゴフを観光し、その後、1900よりニコライ宮殿でロシア・フォークショウを見物する予定である。身支度を整えて、朝食を摂り、念のためにEUR50を2,300Pほどに替えて、0900に観光開始。
 まずはガスチーヌィ・ドポールに出て、芸術広場の周辺をうろつく。ここには、ペテルブルク・フィルの本拠地

『ボリショイ・ザール』
がある。15年前、ここで『悲愴』を聴いて感動したことを覚えている。残念ながら8月は公演がないので、今回は演奏を楽しむことは出来ない。ネフスキー大通りに戻ると、ペテルブルクを本拠地とするサッカーチーム『ゼニト・サンクトペテルブルク』のオフィシャルショップがあった。強いチームなのか、店の内装も綺麗で、グッズの種類もたくさんある。オフィシャルのシャツを自分用の土産として購入。海外チームのコレクションが着実に増えている。さらに行くと、高級食料品店
『エリセーエフスキー』
があった。帝政時代から営業していて、2012年に改装したばかりなのだとか。アール・デコ調の
内装
が美しい。チョコレートなども売っているので、土産はここで買うことに決めて、いったん店を後にする。


 ネフスキー大通りを横断し、

建築家ロッシ通り
へ。ここは、サンクトペテルブルクの景観のもととなるクラシック様式の建築で有名な建築家ロッシが設計した通りで、左右まったく同じ建物が建っている。まぁ、どこもこんなような感じなので、ここが特別という感じもしないが。そのまま
運河沿い
などを歩き回り、ネフスキー通りに戻り、通り沿いのストロガノフ宮殿を見学することにした。
 ここは、ストロガノフ伯爵の宮殿で、同じくペテルブルクで活躍した建築家ラストレッリの作だそうな。なるほど、エカテリーナ宮殿などと同様の造り…といいたいが、正直違いが区別できるほどは詳しくない。スケールこそ小さいものの、壮麗であることには引けをとらない。装飾の施された壁など、さぞ寄りかかりにくかろう…と思う。ところで、ストロガノフ伯爵といえば、あの『ビーフ・ストロガノフ』で有名なのだが、この宮殿にレストランがないのが残念である。伯爵家のオリジナルレシピによるビーフストロガノフ、なんて出せば、観光客が殺到するに違いない。(

 1200に近くなってきたので、ガスチーヌィ・ドポールに戻り、近くの"Tepemok"で昼食を摂ることにする。ここは、モスクワのアホートヌィ・リャト地下でお世話になった店の系列だ。挽肉のブリヌイとペプシコーラ(大)で180Pほどを支払った。ロシアに来てからというもの、同じ店で同じものばかりを食べているような気がするが、これで満足しているのだからいいだろう。


 昨日エクスカーションを申し込んだブースに立ち寄り、今日のバスの番号を確かめて待つ。ほどなく、同じ番号を持つマイクロバスがやって来た。アメリカ人の老夫婦と韓国人の老夫婦、それに私の5名が本日の参加者らしい。
 往路、ガイドさんがサンクトペテルブルクの建築について説明してくれる。壮麗な中心部を過ぎると、

緑色の凱旋門
が現れた。ナポレオン戦争に勝利した記念なのだそうな。こんなことはLPにも書いていなかっただけに面白い。さらに、キーロフを記念した工場、ソヴィエト時代初期の建物、スターリン様式(黒くて威圧的なのが特徴だそうな)、フルシチョフ時代(煉瓦造り)、ブレジネフ以降(コンクリート)と、郊外に出るほどに時代を降っていくのだそうな。こんな見方が出来るとは思わなかった。そして、最新は、中国・上海の資本で造られた建物(鉄とガラス)。『時代が新しくなるごとに、建物は安くなっていくのですよ。』というのが印象的だった。(

 ペテルブルクを出ると、ダーチャ(別荘)が目に付くようになる。さらに、最近造られたのが、ロシア大統領の別邸。9月、ここでG20の会議が開催されるのだそうな。ここで、アメリカ人が『あなた方ロシア人はプーチン大統領をどう思っているのか?』と訊ねると、ガイドさんは『彼の時代になってからいろいろなことが決まり進んだ。私たちは彼を尊敬しています。』と答えた。韓国人の参加者もいるだけに、こちらに話を振られなくて幸いだった。
 ペテルゴフの街に入ると、また瀟洒な造りの建物が目に付くようになった。なぜか、アメリカの郊外の高級住宅地のような印象を受ける。そして、池の辺でバスを降りる。大宮殿の入り口はすぐそこだ。


 ペテルゴフは、ピョートル大帝が夏の宮殿を造成した地である。海から段々に高くなる土地のため、噴水など水を活用した宮殿となっており、宮殿建築だけでなく、数々の噴水を有する庭も見どころである。ここも観光客の人気が高く、特に夏は、個人で訪れても入場できないリスクがあるため、エクスカーションツアーを利用したほうが好いと聞いていた。
 逸れた時の待ち合わせ場所として、出口近くのカフェが指定される。もっとも、逸れないように監督するのがガイドの役目という気もするが… 店の名前をロシア語で確認したら、『日本人でロシア語を使える人に初めて会った。』と驚かれた。いや、たくさんいますって。
 まずは

大宮殿
の中へ。宮殿の内部は全て撮影禁止というのは残念な限り。まずは豪華な装飾の階段とダンスホールを経て、いったん白を基調とした(しかし装飾は壮麗な)部屋が続き、再び豪華な部屋へ。これは、歴代の皇帝が自分の好みを反映した結果で、いろいろな様式を見ることが出来るのが特徴なのだそうな。中国趣味の部屋もいくつかあるが、ドイツなどで観た似非っぽいものではなく、かなり『本物』に近いのが印象的だった。ある部屋には、ある1人の画家による少女の絵ばかり300枚以上もかかっている。何か妙な趣味を疑われそうではある。
 宮殿を出ると、たくさんの彫像から噴水が水しぶきを上げている庭へ。これまた凄い。と、突然に雨が降ってきた。今年の旅は本当によく驟雨に遭う。10分ほどで止んでくれて好かった。さて、彫像群の中心にあるのは、ライオンの口を引き裂くサムソンの像である。このライオンはスウェーデンを象徴しているらしい。歴史問題に発展しないのだろうか?(

 ここから、噴水巡りの庭歩きへ。様々な趣向を凝らした噴水がたくさんあり、この庭歩きは楽しい。中には、通りがかった女性の服を濡らすために仕掛けを施した噴水なんてものまである。歩いたところ、見事に仕掛けを踏んだようで、頭から水を被ってしまったが、こんなことも楽しい。(

 今日のエクスカーションでは、他の参加者ともいろいろ話した。韓国人の夫婦は今日ペテルブルクに着いたばかりとかで、ペテルブルクの見どころや食事のお勧めなどについて訊かれた。といっても、十分に回答できるほど知りませんがな… アメリカ人の老夫婦には、"Happiness is not in promotion, but in your journey itself."といわれたのが心に残った。
 全ての観光を終えて、待ち合わせ場所のカフェで一休み。ガイドさんとクヴァスについて話していたら、韓国人夫婦が注文し試していた。気に入ったようではあった。バスに乗り、約1時間でペテルブルクに戻る。イサク聖堂近くで降ろしてもらった。


 ロシア・フォークショウの会場であるニコライ宮殿を目指して歩く。ここも、日本から予めメイルで予約しておいたのだ。しかし、やはりペテルブルクの街を歩くのはきつい。1830にニコライ宮殿に到着。レセプションに行くと、ちゃんと予約リストに私の名前があった。1,800Pでチケットを購入。開演前にシャンパンとウォッカの振る舞いがあるあたり、なかなかに本格的。
 1900に公演開始。まず、男性4人組のロシア民謡の合唱が素晴らしい。何か心に染み入るようだ。ただ、壮麗な装飾の宮殿ではなく、例えば月夜のキジ島とかスーズダリなどが相応しいような気がした。その後は民族衣装の男女による様々なダンス。いわゆるコサックダンスといわれるような動きも含め、激しい動きの踊りが続く。足腰のバネの鍛え方が凄い。プロの踊り手なのだろう。
 45分ほどで休憩が入った。飲み物やおつまみのサービスがあり、土産物やCDの販売もある。先ほどの男性4人組のCDを600Pで買った。2000に公演再開。構成は前半とほぼ同じで、やや中弛みもあったが、最後の『カリンカ』が見事に決まった。予想以上に充実した公演で、予約しておいて好かった。この公演ではっきり悟ったのだが、どうやら私はロシアが『肌に合う』ようだ。


 時刻は2045と(私の基準では)かなり遅いのだが、まだ日が暮れるまでにもう少し時間がある。ここで土産を整えておくことにし、30分ほども歩いて『エリセーエフスキー』へ行き、家族用とオフィス用の菓子を買っておいた。これで今回の旅の買い物は(多分)終了。さて、暗くなる前にホテル近くまで戻ることを優先するが、やはりホテルの周囲にはほとんど店がない。"Sushi Wok"でアボカドのサーモン巻きと水0.5Lを275Pで購入。2200に部屋に戻り、寿司を食べた。


 早いもので、明日で今回の旅も終了である。もっとも、2350発のフライトで、ホテルでのトランスファーとの待ち合わせも2050なので、ほぼ1日を観光に充てることが出来る。エルミタージュ美術館を中心に観光するつもり。
 昨年もそうだったが、ごくごく自然に『旅をする自分』となっている。明日も、どこかの街に行くのと同じ感覚で、帰路のフライトに搭乗することだろう。


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