0715起床。よく眠れた。朝食では、カレーの他にパンケーキやパンなどもあり、消化器系を考慮しパンケーキだけにしておいた。さらに念のため正露丸も飲んでおいた。
0900にガイドのシヴァさんが来てくれた。今日は、午前中はコーチの見どころをいくつか廻り、その後にアラップーザ近郊のホームステイスタイルの宿へ向かうことになっている。てっきりアラップーザへは自分独りでバスを使って移動するものと思っていたが、このまま車で宿まで一緒に行ってくれるという。それどころか、最終日のティルヴァナンタプラムの空港までシヴァさんが同行することになっているのだそうな。これは想定外だし、単独での行動を旨とする通常の旅行であれば手配の失敗ともいえることだが、なにぶんここはインド、しかも初のインド旅行なので、素直に心強いと思えた。(チップが少々心配だが、最終日にINR4,000を渡すことで折り合った。)
ホテルを出てコーチの街を行くが、とにかく渋滞が酷い。いや、渋滞などという生易しいものではない。もう、単純に、交通量が道路の許容限度をはるかに超えてしまっているのだろう。割り込み・追い越し・逆送、もうなんでもありで、交通規則など存在しない状況。1時間以上のドライブで事故らなかったのが不思議としか言いようがない。ドライバーの腕前に感嘆する。
コーチは、インド南西部に当たるケーララ州でも大きな街の1つで、古くから繁栄し、植民地時代の名残を残す建物などが観光の見どころとなっている。まずは、16世紀に建てられたというマッタンチェリー宮殿へ。現在は博物館になっているようだ。ところどころの壁面にインドの神々の物語が描かれていて。ユーモラスな表情や色合いがはっきりと残っている(復元したのかもしれないが)。インドには実に多くの神々がいる。(
・) この建物の周囲も、池とケーララの昔の家並みが穏やかな雰囲気を醸し出している。(・) 気温も30度くらいで、穏やかに風が吹き、デリーや東京よりも快適だ。
5分ほど歩き、やはり16世紀に建てられた昔のシナゴーグへ。なんと、第二神殿を喪い、イスラエルの地から旅立った人々はここにも辿り着いて、ユダヤ教を守っていたのだ。3年前のエルサレム旅行を思い出す。ヘブライ文字が懐かしい(全く分からないけど)。
再び車に乗り、今度はへ。ここには、がある。インドへの航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマは当地で亡くなり、初めはこの教会に葬られたのだそうな。その後、遺体はリスボンに移され、現在は初代の墓石が残っている、というわけだ。いつかリスボンには(陸路でユーラシア大陸を横断して)行くつもりなので、その時に今回の旅を偲ぶことだろう。
その近くには、チャイニーズ・フィッシング・ネット(・・・)という、定置網のようなもので漁をしている一角がある。大きな網を石を使って沈めておき、時々人間が網を引き揚げる。それほど魚が獲れるようにも思えず、むしろ観光用では…と思った(有料で引き揚げるところを間近に見られるらしい)が、近くでは魚をたくさん売っている。ここで魚を買って、近くで調理してもらうこともできるらしい。この周囲にもいい風情のがあり、時間があればもう少し歩いてみたかった。(ただ、歩いていると車にぶつけられそうな気もする。)
1100になり、ここから約60km離れたアラップーザへ向かう。アラップーザは、バックウォーターと呼ばれる水郷地帯の中心地となる街だ。(旧名のアレッピーで呼ばれることも多い) このバックウォーターには、水辺の暮らしを営む村が点在し、川をボートで巡る観光や、ボートそのものが宿となっているハウスボートが有名。今回の旅でも、明日に3時間のボート観光を楽しむ予定となっている。また、大きな屋敷を活用したホームステイスタイルの宿もいくつもあり、ケーララの昔の暮らしを偲ぶということで人気があるらしい。今回の旅のハイライトの一つで、私にしては珍しいことにホームステイスタイルの宿に関心を持ったために当初の旅程を変更したほどである。
アラップーザまでの道のりは、(これまでよりも少しましとはいえ)荒い。2時間ほどでアラップーザの街に着き、そこからさらに郊外へ向かう。川と水田、森の光景は、街中の喧騒とは別世界だ。さらに30分ほど行ったところで車を降り(ドライバーにINR300のチップを渡した。)、小船に乗り換えた。
のは何とも好いものだ。5分ほどで船を降りたところで、今日の宿である"Emerald Isle - Heritage Villa"に到着。昔の屋敷を改装して宿にしているという、美しい建物だ。まずはナツメグのジュースをもらう。初めて飲んだがとても美味しい。東京でも何処かで売っていないだろうか。食事の時間と、明日の待ち合わせの時間を確認した結果、明朝は0900にシヴァさんが来てくれる(後で1000に変更となったが)ことになり、ここでシヴァさんと別れた。割り当てられた部屋の中も古いスタイルで、テレビはないがエアコンはある。シャワーは、なんと露天にも設置されている。そちらのほうが面白そうだ。そういえば、10年前にスズダリで泊まった修道院ホテルにも似ている。内装は全く違うけど。(・・・・)
1415に昼食、白いご飯にカレー、パパイヤ・キュウリ・バナナを辛めに味付けしたものが出た。辛いけど、優しい辛さでとても美味しい。白いご飯は、日本のコメよりも一回り大きく太いもので、柔らかく炊き上げてある。食後には麺状の何かをココナッツミルクなどで味付けした暖かいデザートが出た。これも美味しい。(
・)
食後は周囲を散策する。水辺に点在する家などの風景が気持ちを解きほぐしてくれる。そういえば、私は水辺の村を訪れるのが好きで、中国・江南の水郷古鎮もいくつか訪れた。もちろん景色は全く違うのだが、水辺の暮らしは私の心を和ませてくれるらしい。子供たちも大人も笑顔で挨拶してくれる。やはり南インドは優しい、のだろうか。鳥の声が大きく響く。(・・・・・・・・・・・・・・)
水辺にはベンチもいくつかあり、ぼーっと川を眺めながら、行き交う船を見ているのも好い。と、リズムをとりながらたくさんの漕ぎ手が力強く漕いで行く、
が過ぎていった。この週末に有名な大会があるらしいので、その練習だろうか。何度か見ていると、そのうちの一艘が私の近くに寄せてきて、漕ぎ手たちが降りてきて取り巻かれてしまった! もっとも、危険な感じは全くせず、単に変な外国人がいて興味を持った、くらいらしいのだが、なかなかに屈強な男性に囲まれると此方は正直気おくれがする。いろいろ話しているうちに『乗ってみないか?』と勧めてくれ、かなり心も動くのだが、やはり泳げないうえにライフジャケットもなく、あのスピードでバランスをとれる自信もないので、残念だが丁重に辞退した。15分ほどで再び漕ぎ出していった。とても陽気な、気持ちのいい男たちだった。心から彼らの健闘を祈る。(・・・・)
1700に
を出してくれた。暖かく、ショウガをきかせた甘い味が染みわたる。この一杯だけで、ショウガのないチャイなど考えられない、という気持ちになった。夕方になったが、雨こそ降らないものの雲も多く、今日は夕焼けを望めそうにない。それでも、夕方の風は気持ちよく、眠気を誘ってくる。(・)
1820に部屋に戻ると、いきなりの驟雨。夕闇が濃くなっていく中で、虫と蛙の声が響き渡っている。夕食は2000の予定なので、ここまでの日記をつけておく。陽が暮れると周囲は真っ暗で、雨が止み、物音といえば虫と蛙の鳴き声が響くのみ。2000に食事の声がかかった。雨が降ったので屋内での食事となった。まずはチキン・マサラをナンで食べる。これも美味しい。(カレーの微妙な味わいは私の語彙では表現できません。どれも微妙に味わいが違うのです。) その後、白いご飯にトマトのカレー、豆と、あと一品(何だかわからなかったが、甘さと辛さが絶妙に共存していた)。こちらも美味しい。こういうカレーなら、もうしばらく続いても大丈夫な気がする。デザートには、果物や木の実を細かく切ってシロップ漬けにしたものが出た。(・・)
シヴァさんとの待ち合わせが1000になったので、朝食を0930にお願いした。明朝はかなりぐだぐだできる。
食事を終えて部屋に戻る。そうか、露天のシャワーは照明もないから夜は無理か… 屋根付きのほうでシャワーを浴びておく。今夜は虫と蛙の声を聴きながら眠ろう。ここまで来て本当に好かった。
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