Prologue

 人生において達成したい夢の一つである『ソヴィエト連邦を構成した15の国をすべて訪問する』、残りは中央アジアの5ヶ国である。中でもウズベキスタンは、この5つの国の中では最も豊富な観光資源を有しており、旅行としての面白さも十分に期待できる。2004年に旅行計画を立てたのだが、出発3週間前に病気に罹り断念したことがある。以来、常に旅行先候補の上位にありながら、毎年旅行先を決める際には別の旅行先を選んでいた。というわけで、今年は13年越しのリベンジで旅行することにした。
 手配は、今回もファイブスター・クラブのパッケージを使うことにした。久し振りに、旅程の中で一人でいくつかの街を移動する旅である。ただ、復路が混雑しており、インチョン空港での成田行きフライトへの乗り継ぎが6時間待ちとなってしまった。


 まずは12:30発のアシアナ航空OZ101でインチョンへ向かう。混雑のためか、成田空港への到着からチェックインとセキュリティチェックの完了まで1.5時間もかかった。搭乗後も、滑走路上で離陸まで30分以上も待たされた。それでも定刻通りインチョン空港に到着。Transitのセキュリティ・チェックも混雑していて20分かかった。
 インチョンからは16:45発のOZ573でタシケントに向かう。16:15に搭乗開始。ここでも離陸まで30分以上待たされた。機内ではウズベク人たちがうろうろしながら話していて賑やか…というかうるさい。寝たりしながら約7時間を過ごす。


 ほぼ定刻通り、20:20にタシケント空港に到着。ウズベク人がとにかく先を争って出ようとするので少々面食らう。日本語の達者なウズベク人の男性(大阪の企業にお勤めだそうな)が『彼らは商売人で、とにかく早く出て商売の荷物を持って外に出たいんだよ。この空港は入国審査も荷物受け取りも税関審査も時間がかかるんだ。彼らの荷物がとにかく多いからね。空港を出るまでに3時間以上かかったこともある。』だそうな。ぞっとしたが、この話をここで聞けたことで、それなりに覚悟もできたし、この後に起きたことの背景を理解できたのはまだしもよかった、というべきだろう…
 バスで空港の建物に乗り付けると、乗客が

入国審査カウンター
に走って殺到するが、ドアが閉まっていて入れない。ドアを揺するなど、もはや殺気立っている。10分ほどでドアが開くと、すぐに入国審査のカウンターだった。皆が殺到し、もう列もへったくれもないが、先ほどの男性がうまく私を誘導してくれて、入国審査はすぐに終えることができた。
 
預け荷物の受取
は、そもそもレーンが2つしかないうえに、先の北京からの到着便(これも行商御用達らしい)の荷物受取で大混雑。ようやくレーンが動き出したが、Priorityシールのついた大きな箱ばかりが出てくる。行商人は搭乗回数が多いのですぐにPriorityを取れるくらいのメンバーシップステータスになってしまうのだそうな。『ウズベキスタン航空の直行便ならこんなことはないんだけどね。』…そっちにすればよかったか…
件の男性の荷物が先に出た。ここでお別れ、また1人だ。さらに待たされて、ようやく私の預け荷物が出てきた。(これでも最後ではないようだが、もう知ったことではない。) 最後の関門、税関検査へ。前の夫婦の荷物がいろいろ開けられていて、その間は列が進まない。ようやく自分の番となったが、特に問題なく、申告用紙の1枚にサインされたものを返された。これは出国時に必要となる。


 到着ロビーに出るが、狭いうえに店もなく、閑散としている。出迎えの人は空港のビルに入れないようだ。道路を渡ったところが待ち合わせとなっているらしく、こちらは大混雑。名前を出してくれた迎えのドライバーとようやく合流、時刻は22時を過ぎていた…
ドライバーから、まず列車の切符と、ウルゲンチからサマルカンドまでのフライトの切符を受け取った。次に、旅行中の送迎のドライバーとの待ち合わせ時刻・場所の一覧表を受け取った。これは有難い。ここで両替を持ち掛けられたので、USD100を450,000ウズベキスタン・スムに替えた。公定レートより20%ほどよい。これがすべて5,000スム札なので、人生初というレベルの札束を持つことになった。SIMカードも手配してくれるとのこと。便利には違いないのでかなり迷ったが、これがあると旅の間中iPhoneばかり見るようなことになるような気もしたので、これは断った。
 22:40にウズベキスタン・ホテルに到着。薄暗いロビー、いかにもソヴィエトという感じ。ようやく部屋に入れた。  明日は、07:30発の列車でサマルカンドに向かうため、06:30にロビーでドライバーと待ち合わせ。05:15には起きる必要があり、疲れたので風呂に入るのみで0時過ぎに就寝。


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