İstanbul

 06:45に起床。いつものように夜中に何度か目が覚めてしまうことも含めて時差ボケは解消しつつあるようだ。胃もたれも消えてくれた。朝食前に屋上のテラスに行く。スルタンアフメットジャーミィと海を見晴らすのは最高の一日の始まりだ。朝食も食べることができるが、控え目にしておいた。
 9時前にホテルを出て、スルタンアフメット駅でカードの残高を確認していると、ここでも日本語を話すおっさんがちょっかいをかけてくる。ここはうまく振り切ることができた。公園から

スルタンアフメットジャーミィ
をみると、ほのかに青い色をたたえていて、ブルーモスクという別名がよく似合う。アヤソフィアに着いて、メールで届いたQRコードで入場した。アヤソフィアには若い頃から憧れていていずれ行こうと思っていたが、数年前にモスクになってしまい、今は2階にしか入れなくなってしまった。
 2階の回廊から伽藍をみる。ビザンチン帝国時代の建築とイスラームの装飾の融合が独特な雰囲気だ。(
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) 柱には何体かの天使が描かれていて、うち
一体
は顔を出している。柱も、その上に隠れるようなモザイクも歴史を感じさせてくれる。人物を描いたモザイクも何点か残っていて、金色の輝きも素晴らしい。(
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) しかし、天井近くの
聖母子像
は布で覆われてしまっている。素晴らしさを再認識しつつ、1階に入れる頃にここを訪れておきたかった…という無念の想いがつのるのも否めない。自分勝手な願いではあるが、ここだけは博物館に戻り、ビザンチン時代の肖像などを隠している材料などを全て剥がしてくれる日が来ないものだろうか。(
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 10時にアヤソフィアを出て、トラムで大学駅に向かった。ここで改めてカードの残高を確認すると100TLくらいしかなかったので、クレカで100TLをチャージした。少し歩いて地下鉄の駅に入り、タクシム駅へ。11時にタクシム広場に着いた。ここは新市街の中心のようなところだ。  ここからイスティクラル通りを歩いた。いかにも繁華街で、人通りも店も多い賑やかな通りだ。レトロなトラムが走っているのも良い。(

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) 途中にチチェキ・パサジュというアーケードがあり、入ってみたが両脇をレストランが占拠しているだけだった。(
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 11:30に少し早めの昼食を摂ることにして、予めチェックしていた
"Şahin Lokantası"
に入ってみた。並んでいる料理から、
シャワルマという肉料理、ピラフ、豆のスープ、ヨーグルトドリンク
を注文した。どれもとても美味しいのだが、なにぶん量が多すぎた。しかもパンまで運ばれてきた。シャワルマにも少しだけピラフがついていて、完全なオーダーミスである。食べられるだけを無理せずに食べ、半分以上を残してしまった。610TLを支払った。注文の仕方を間違えないようにして、もう一回訪れてみたい気もする。
 12時過ぎに店を出て、イスティクラル通りを降っていく。ガラタ塔への標識にしたがって歩くと、ヨーロッパの旧市街の
路地
のようなところに出た。降ってまた登り、ここを過ぎると
ガラタ塔
があった。…といっても、これが何なのかわからないのだが。ここから、14時にチケットを予約してあるドルマバフチェ宮殿に向かうことにした。Google Mapにしたがって道を降ると、トラムの駅があったので乗り、2駅先のカバタシュで下車した。ここから10分足らずで
ドルマバフチェ宮殿に
着いた。まだ13時なのだが、ダメもとで持っているQRコードを提示すると問題なく入場できた。

 ドルマバフチェ宮殿は、トプカプ宮殿を捨てたスルタンが建てたもので、オスマン朝最後の宮殿とのことだ。また、革命を成し遂げたアタテュルクもここで政務を執り、永眠したところでもある。内部は撮影禁止なので、入り組んだ宮殿の中のいろいろな部屋を一方通行にひたすらに見て歩くしかできない。内装も装飾もすっかりヨーロッパ風で、トプカプ宮殿との違いに驚かされる。そして内装も調度品も豪華絢爛だ。巨大なシャンデリアがあちこちに下がっている。大きな陶器も飾られていて、中には日本製と思しきものもあった。ただ、よくみるとヨーロッパそのものともいえないところもあり、なぜか国立博物館で見られる皇室の方々の待合室の内装を連想した。あまりにも部屋や調度品がありすぎて、だんだん感覚が麻痺してくる。座れるところがないのもつらい。終盤はただ歩くだけになってしまった感も否めない。もっと若く体力があればなぁ。最後に大きなセレモニーホールがあり、ここは(キリストや聖母マリアなど人物が描かれていないことを除けば)ヨーロッパの教会建築のようだった。
 外に出るとボスポラス海峡の風が心地好い。順路に沿って歩いていくと、今度はハレムの入場口…半ばヤケで入った。ここはプライベート空間のはずだが、やはり豪華な部屋が続く。これで本当に寛げるのだろうか? アタテュルクが永眠した部屋もそのままに残されていた。ようやく歩き終えて外に出たときは、正直にいって開放感すら覚えた。
 時刻は14:30過ぎ、ここからオルタキョイに行くつもりでGoogle Mapにしたがいバス停まで歩いてバスを待つが、10分以上待っても来ない。Google Mapの経路指示が間違っている気もしたので、来た道を引き返した。途中に地元サッカークラブであるベシタクシュのスタジアムがあったのでショップに立ち寄ってバッヂを買った。カバタシュからはタクシム広場に戻れるフニキュレルというケーブルカー? が出ているので、これに乗ってわずか2分でタクシム広場に着いた。

 再び

イスティクラル通り
を歩いた。人通りがますます賑やかになっている。通り沿いのカフェ
"Saray Muhallebicisi 1935"
で休むことにして、
バクラヴァとチャイ
を注文した。久しぶりのバクラヴァ、やはりとてつもなく甘い。脳天をつくような甘さだ。チャイ一杯ではこなせず、おかわりを頼むほどだった。12年前にエルサレムで食べたときはもう少し美味しかったように思うのだが…
 17時に店を出て、この後をどう過ごすか考える。日没はスルタンアフメットジャーミィで味わうとして、とりあえずイスティクラル通りを歩いた。ショッピングセンターにも入ってみたが、フードコートはあるものの食料品はなく、土産物の参考にはならなかった。老舗のロクムの店があったのでみてみる。味見をするとなかなかに美味しく、職場向けの土産としてもよさそうだが、個別に包装されていないのがマイナス。スイーツ店もいくつかあったが、どこも同じような商品を売っていた。
 イスティクラル通りを過ぎて、狭い路地を降り始めた。ここは何故か楽器屋とフルーツの露店が多い。オレンジジュースを買って飲んだ。坂はさらに急になる。降りているからいいが、登るのは遠慮したい。イスタンブールも坂だらけの街で、ポルトやリスボンを思い出した。
 降り切ったところがカラキョイで、ここからガラタ橋に向かい、橋を渡って旧市街に戻った。(
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) エジプシャン・バザールをうろつく。あまり売れているようにも見えないが、これだけ人が通っていれば客もそれなりにいるのだろうか、それとも、何か組合のようなものがあるのだろうか。(
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 ここから徒歩でスルタンアフメットジャーミィに戻ろうとしたが、迷路のような路地を歩く羽目になった。Google Mapにしたがって進むが、途中からきつい登り坂になってしまった。店もしまっていて人通りもほとんどなく、ちと不安ではある。登り切ると急に店も人も増えて安心した。この近くに有利なレートでトルコリラを引き出せるというHSBCのATMがあるので、400TLを引き出した。ここからすぐにトラムの線路沿いに出ることができたので、迷わずスルタンアフメットジャーミィに着いた。時刻は19時で、残念ながら内部に入ることは出来なかったので、外で今日の日記を書きながら時を過ごしている。夕陽に照らされ、電飾が灯されても、
ブルーモスク
の青い美しさを保っている。アザーンが終わり、胃もたれこそないものの、やはり空腹を覚えないのでそのままホテルに戻った。
 今日で、予め予定していたイスタンブール市街の観光ポイントは概ね巡った。昨日は15km、今日は20kmほどを歩いているが、足には疲れを覚えないものの、やはり気持ちに疲れを覚えるので、明日は少し遅めに起きることにしたい。予定していたプランも止めて、買い物と休息に充てることにしよう。ホテルの近くにあるハマムに行ってみようかな。

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